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花があったら昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、さして驚くこともなくなっていた。午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。その人は赤ちゃんを抱えていた。さらに、その下には大きな穴が掘られていた。母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。どの顔も涙で汚れゆがんでいた。一人がそっとその場をはなれ、地面にはう破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。若い顔がそこに現れた。ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、苦痛の表情は見られなかった。これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。人間の愛を表現する顔であったのか。だれかがいった。「花があったらなあ――」あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。私たちは、数え十九才の学徒兵であった。
政権交代と共に日本社会のあらゆる所で地殻変動が起きているのと軌を一にするかのように、ちょうど昨年末ぐらいからTwitterが注目を浴びるようになった。
私がTwitterを始めたのもちょうどこの時期で、すでに3カ月余りがたった。
正直、この3カ月間に私が得た貴重な情報のほとんどは、新聞やテレビではなく、Twitterを通じてのものだ。
民主党小沢幹事長をターゲットとした検察の執拗な捜査と、検察リーク報道を垂れ流すマスメディア。
その異常な姿に気づかせてくれたのもTwitter上を流れる情報である。
あらためて、この国の新聞やテレビがどれほど偏向報道しているのか、世論を意図的にコントロールしているのか、嫌と言うほど痛感した。
国民一人一人がメディア・リテラシーを高めるためにも、Twitterを有効に活用することは大きな意味がある。
より多くの人にTwitterを活用してもらえたらと願い、月刊誌『Actio』2月号に掲載した私の文書を紹介したい。
140字のつぶやきは世界を変えるきっかけになるか?
Twitterを活用してネットワークを広げようこの10年ほどの間に爆発的に普及したインターネット。今やネット検索や電子メールでのやり取りを抜きに日常生活はあり得ないほど多くの人が活用している。
そんななか、ここ数年で利用者が飛躍的に増大し注目を浴びる新たなネットコミュニケーションツールがツイッター(Twitter)だ。アメリカ大統領選ではオバマ陣営が活用、勝因の一つになったとも言われるが、その仕組みは極めて単純。「今どうしてる?」との問いに140字以内でつぶやく。勿論、つぶやく内容は日常の細々から政治的話題まで自由自在だ。
政権与党民主党の国会議員にはツイッターを活用している人も多く、「仕分け人」蓮舫議員は、毎日事業仕分けの様子をつぶやき注目された。危機感を抱いた自民党も国会議員に利用を指示。朝日新聞や毎日新聞などの大手マスコミ、あるいは企業なども公式アカウントを取得して宣伝やマーケッティングに利用し始めている。
私自身始めてまだ数カ月だが、正直かなりはまっている。原発、環境、政治などの社会的テーマから自転車、合気道など個人的趣味まで、毎日のようにつぶやいている。そんな私のつぶやきをフォローしてくれる人も日毎に増え、賛否両論様々な反応が返ってくるのは実に刺激的だ。
とは言え1回に投稿できる文字数はわずかで、つぶやきはどんどん流れては消えていく。「これでどんなコミュニケーションが可能なの?」と疑問を抱く人は多いだろう。
しかしツイッターの開発者はこう語っている。「人間同士のコミュニケーションは、得てしてたわいもないことから始まる」。
確かにいくら理路整然とした立派な文書でも、延々と論じられては気軽に読めない。オフライン同様、「おはよう」とか「今日はいい天気だね」との何気ない会話こそ潤滑油になる。さらに相手の承認なしに勝手にフォローできるので、気軽にどんどんネットワークを広げられる。自由で開放的な緩やかなつながりを創造できる空間なのである。
「だけど重要なことは何も伝えられないのでは?」とのさらなる疑問にもお答えしたい。ツイッター上を駆け巡っている何万ものつぶやきは貴重な情報の宝庫。
例えば沖縄普天間基地移設問題。マスコミは連日のように「鳩山政権が辺野古移転を拒んでアメリカが怒っている」と伝えた。しかしツイッター上では早くからまったく逆の情報が様々なソースから流れていた。アメリカの最大の関心事は海兵隊のグァム移転であり、もともと辺野古移転に関心はない。むしろ埋立利権を得たい日本側にこそ拘っている輩がいると。
私は日頃からマスコミ報道には何かと疑問を感じ、メディア・リテラシーの必要性を自覚していたつもりだ。しかしツイッターを通じて様々な情報に触れることで、あらためてマスコミの偏向報道の酷さを痛感した。テレビのニュース番組よりもツイッター上に流れる価値ある情報を精査し拾い上げる方がはるかに信頼できる。
さらにツイッターは、テレビやラジオを上回る速報性や波及力を発揮する可能性を秘めている。1万人にフォローされている人のつぶやきは、リアルタイムで1万人に伝わる可能性があり、それがさらに連鎖すれば何十万、何百万の人にあっという間に情報が波及する。ニューヨーク・ハドソン川に旅客機が不時着した際、それを最も早く伝えたのはiphoneからの写真付つぶやきだった。
とにかく百聞は一見にしかず。一度ツイッターにチャレンジしてみて欲しい。環境や人権などのテーマに取り組むNGOやNPO、社会起業家、ジャーナリスト、政治家など、実に多種多様な人たちと新しい関係を創造するチャンス!
最後に、『Twitter社会論』の著者津田大介氏の言葉を紹介しておこう。
「人々が動くための一歩目を踏み出すツールとして、ツイッターは間違いなく優秀だ。何かをあきらめてしまった人が、ツイッターを使うことで『再起動』できれば、少しずつ世の中は良い方向に動いていく。そんな希望を持ちたくなる、得たいの知れない力をツイッターは持っている」
新聞やテレビなどのマスコミが検察リーク情報を垂れ流すなか、勇気をもって検察批判を展開している「週刊朝日」。
2月12日号でも「検察暴走! 子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」を掲載。
この記事に激高した検察は2月3日、「週刊朝日」に抗議文を突きつけると共に、編集長に出頭を要請。
しかし出張中の編集長がすぐには無理だと伝える。
同時にこの「出頭要請」はTwitter上でまたたくまに広がり、抗議の声が巻き起こった。
慌てた検察は記者クラブを通じて、「出頭要請」はなかったことにするよう朝日新聞に圧力をかけた。
なんと朝日新聞本社はそれを受け入れ、「週刊朝日」に緘口令をしいたらしい。
戦前の翼賛報道を反省しているはずの朝日新聞は、今や完全に検察と一体化し、検察の御用聞きの翼賛メディアに堕した。
以下、戦前の特高警察と同様の、検察の人権蹂躙の実態を暴いた問題の記事を紹介する。
フリージャーナリスト上杉隆氏のこの記事は、記者クラブのイスに座り、検察リーク情報だけを垂れ流すマスコミには、決して報道できない内容である。
だからこそ検察は、あからさまな言論弾圧によって潰そうとしたのだ。
小沢一郎VS検察の戦いが佳境に入っている。
検察は捜査対象を広げ、小沢後援会、接触した建設会社、秘書、元秘書などしらみつぶしにあたっている。
衆議院議員で小沢の元秘書の石川知裕の捜査・逮捕もその流れの中にある。その石川の拘留期限は2月4日に切れる。そのため、検察は別件だろうがなんだろうが、石川を留め、捜査の継続を画策しているという。
「もうめちゃくちゃですよ。何でもいいから見つけて来い、そんな感じです。上層部は相当焦っている。現場から不信の声も上がっています」(検察「関係者」)検察が小沢を追い詰めているという新聞・テレビの報道とは随分と違う。さらに検察「関係者」の話を聞いてみよう。
「週刊朝日の記事に対しては本気で怒っています。懇談なんかでも『上杉のヤロウ、調子の乗りやがって、目にもの見せてやる』と半ば公然と話しているくらいですから。その報復が女性秘書に向かったんですよ」
先週号で筆者は、石川が事情聴取の際に、検察から子育て中の若い女性秘書をネタに恫喝を受けていた事実を書いた。http://bit.ly/bjZYXD
その号が発売された日、今度はその女性秘書が「事情聴取」に呼ばれたという。翌日の鈴木宗男衆院議員のブログ「ムネオ日記」にそれに該当すると思われる記述がある。
「さらに昨日は、石川事務所の女性秘書を午後1時から10時半まで事情聴取している。
小さな子供がいるから早く帰してやってくれ、と言っても、検察は帰さなかった。まさに拷問的取り調べだ、と、弁護士は怒っていた」弁護士も指摘する通り、それは事情聴取とは言い難い卑劣極まるものだった。
「保育園に子供が残っています。お迎えだけは行かせてください。その後、また戻ってきます。せめて電話だけでも入れさせてください。」
感情を抑えられずとりみだす母親、その前に座る男はこう言い放つ。
「何言っちゃってんの。そんなに人生、甘くないでしょ」
もとより、小沢事務所の政治資金規正法違反の捜査で、なぜ石川事務所の秘書を聴取する必要があるのか?
石川の秘書時代の仕事を他の事務所から3年ほど前に移ってきたばかりの新しい秘書が知る由もない。
あまりに無謀な検察の捜査。新聞・テレビが一切報じない、その一部始終を「関係者」の証言を基に再現しよう。
1月26日(火)の昼ごろ、石川事務所に「タミノ」と名乗る男から電話があった。女性秘書に検察庁に来てほしいという。
女性秘書が「今日も押収品の返却ですか?」と確認すると、タミノは「そうです、あと、ちょっと確認したいことがあるので」と返した。
よく聞き取れなかったので、もう一度確認すると、「返却です」と答えた。
女性秘書は、1月15日の石川逮捕以来2度(22日、25日)検察庁から呼び出しを受け「押収品」の返却に応じている。
今回も同様の案件だと信じた女性秘書は、ランチバッグ一つで検察庁に向かった。
霞が関から議員会館のある永田町からは一駅である。前日と同じように、コートも着ずに薄着で出かけた。ランチバッグの中には千円札と小銭、ティッシュとハンカチ、携帯電話だけである。
検察庁に着くと前回までとは違う部屋に案内される。するとそこには民野健治という検事が待っており、いきなりこういい始めたのだ。
「被疑者として呼んだ。あなたには黙秘権があるので行使することができる。それから~」
事情を把握できずパニックになった女性秘書が、ほかの秘書か弁護士に連絡したい旨を告げると、民野健治はそれを無視して、逆に、携帯電話の電源を切るように命じ、目の前でスイッチをオフにさせたのだ。
それが昼の1時45分。だまし討ちの「監禁」はこうして始まった。
任意の事情聴取は、文字通り「任意」である。よって、被疑者であろうが、参考人であろうが、当事者の同意が必要なのは言うまでもない。
仮に、拒否しても、その場を立ち去っても問題はない。
拒否も国民の当然の権利である。ところが今回「聴取」というだまし討ち監禁は、そうした意向を問うこともなくスタートしている。
民野検事は、女性秘書に小沢と石川が共謀していたことを認めるよう迫り続けた。だが、彼女がそんなことを知る由もない。
女性秘書は石川が小沢の秘書をやっているときは、別の民主党議員事務所に勤めていたのだ。
しかも、当時は与野党に分かれており、自由党の石川秘書についてはその存在すら知らなかった。
そんな彼女が、小沢事務所の会計事務のことを知るすべはない。
その旨を正確に述べると、検事は次のような言葉を並べるのだった。「いいんだよ、何でもいいから認めればいいんだよ」
「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」
「何で自分を守ろうとしないの。石川をかばってどうするの」こうした言葉をさんざん浴びせられたが、知りようもない事柄を語れるはずもない。
そこで黙っていると民野検事はこう言い放った。「あんた、何も言わないのは愚の骨頂だよ」
取り調べ室では時刻もわからない。もうずいぶん時間も経過したのだろう。
ふと見るとそれまでブラインドから差し込んでいた外の光が暗くなっている。
3歳と5歳の子供が待っている保育園に迎えに行かなければならない。夫でも誰でもいいから迎えに行かなければ、幼い子供たちも心配するだろう。
取り調べ可視化、これじゃ無理だ。女性秘書は検事に対して、繰り返しお迎えの許可だけを懇願する。
一時的でもいい、必ず戻ってくる。せめて電話を入れさせてほしいと哀願し続けたのだ。そして、母親の子供を思う気持ちが昂ったその時、検事の発した言葉が、先の「何言っちゃってんの?そんなに人生、甘くないでしょ?」という台詞だったのだ。
その言葉を聞いて、母親はパニック状態に陥った。
手が震え出し、自然に涙がこぼれてくる。
ついには呼吸が荒くなり、過呼吸状態に陥った。飲み物を所望する。ご希望をどうぞ、と言われたので、「お茶をください」と言った。 すると民野検事は事務官を呼び、庁内にあるローソンに買いに行かせた。事務官が戻ってきてお茶を出すと同時に検事はこういったのだ。
「120円、払ってください」
一方、昼間に出かけた女性秘書の帰りがあまりに遅いため、石川事務所のスタッフたちもさすがに心配になってきた。
ちょうどそのころ、検察庁から一本の電話が入った。「○○さん(女性秘書の名前)からの伝言です。今日は用事があるので事務所には帰らないとのことです」と、男の声で名前も名乗らず、それだけ言うと一方的に切れたという。
日が暮れて数時間がたつ。
子供の迎えの時刻が迫ってからは「せめて主人に電話をさせてほしい」「ダメだ」というやり取りの繰り返しになる。あの小沢一郎の事情聴取ですら、準備に準備を重ねて弁護士を連れ、自らのホテルの部屋という条件で行われたのだ。しかも4時間半である。
一方、女性秘書の「監禁」時間はすでにこの時点で5時間を超えている。
だんだん思考能力も低下してきた、と、のちに弁護士にも語っているこの母親が何百回、同じ「哀願」を繰り返したころだろう。
ようやく検事が「じゃあ、旦那にだけは電話していい」と認めた。検事の目の前で携帯のスイッチをオンにし、画面に夫の電話番号を表示し、それを見せながら発信ボタンを押した。
子供の迎えだけを頼んだ。それから次に弁護士への通話をお願いし、しばらくして同じように許可された。
弁護士が検事と「聴取」の中断を交渉し、午後10時45分、事務所を出てから約10時間ぶりに女性秘書は「監禁」から開放されたのだった。結局、「押収品」は一つも返してもらえなかった。
つまり、東京地検特捜部は、最初からこの若い母親をだまして「監禁」することが目的だったのだ!2008年に最高検が出した「検察における取り調べ適正確保方策に関する諸通達では、長時間の取り調べ、休憩なしの聴取などを禁じている。
今回の「監禁」はこれに明白に違反している。しかし、最も卑劣なのは、こうした人権侵害を知っていて、1文字も、1秒も報じない新聞・テレビの記者クラブメディアだ。
とにかく検察などの国家権力があらゆる手段をもってしても自己目的を達成しようとすることは、人類共通の歴史だ。
ところが、普通の民主主義国家では、そうした捜査当局の暴走に歯止めをかけるためのジャーナリズムが存在する。
ただし、日本ではそれがない。
むしろ逆に、検察の暴走を、つまらない自らの立場を守るために、見て見ぬふりをしているのが現状だ。
それは、何も知らないよりずっと性質が悪い。先週号でもふれたとおり、石川事務所での一連の「違法」強制捜査は記者クラブメディアの記者たちの目の前で行われたのだ。
さらに、懇談で女性秘書への事情聴取があったことも話題に上がっている検察の捜査が卑劣だとしたら、それを知っていて書かず、無言で協力してきた新聞・テレビの記者たちこそ卑怯だと言わざるを得ないのではないか?
以下は2月1日発行の『Actio』に掲載した私の文書。
http://actio.gr.jp
民主党小沢幹事長が逮捕されるか否かの緊迫した状況なので、緊急にこのブログでも紹介する。
東京地検特捜部は政治資金規正法違反容疑で、民主党の小沢一郎幹事長周辺へ捜査の手を伸ばしている。小沢氏の政治団体陸山会が購入した土地を巡り、購入資金が収支報告書に実際の年度とは異なって記載されている虚偽記載、さらに資金そのものがゼネコンからの賄賂ではないかとの疑いだ。
すでに小沢幹事長の元秘書で衆院議員の石川知裕氏は、国会開会前に虚偽記載の容疑で逮捕された。新聞やテレビなどマスコミは連日のように検察のリーク情報を無批判に垂れ流し、立件ストーリーを広報している。例えば、「関係者によると石川氏は小沢氏が虚偽記載に関わったことを認める供述をはじめた」と。石川氏の弁護士は即座に、「完全な誤報」「石川氏がそのような供述をしたことは全くない」と抗議文書を報道各社にファクスしたが、マスコミは事実上これを無視黙殺した。
なぜ検察とマスコミがこれほどまでに一体化するのか? これについてフリージャーナリストの上杉隆氏は、「検察の狂気 これは犯罪捜査ではなく権力闘争である」と題する記事を週刊朝日に掲載。上杉氏は、「これは、人事と既得権を死守しようとする検察=記者クラブメディア連合体と小沢の『権力闘争』なのである」と述べている。
さらに1月18日には、危機感を抱いたジャーナリストを中心に「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす」と題する緊急シンポジウムも開催された。魚住昭、大谷昭宏、田原総一朗、宮崎学らのジャーナリストや、鈴木宗男や佐藤優など実際に国策捜査のターゲットとなった人たちが発言。
元検事の郷原信郎弁護士は、「現職の国会議員である石川議員の身柄を、国会の開会直前に、この程度の軽微な罪状で、拘束すること自体が不当です。検察は、どうかしている」「こんな無茶な捜査で、国会議員を逮捕し、さらには与党の幹事長という要職にある人物まで逮捕しようとするなど、本当なら考えられません。『狂気』としか言いようがない」と批判している。
まさに今起きていることの本質は、正義の代弁者である検察が、汚職政治家を摘発する図式とは到底言えない。私たちは、昨年夏の衆議院選挙の意味を今一度深く考えるべきだ。政権交代を実現した民主党は、「脱官僚政治」を掲げて小泉改革ではほとんど手付かずだった官僚の既得権益に切り込み、人事権まで含めた大幅な省庁改革を目指している。これに対する官僚の抵抗がどれほど激しいものなのかは想像に難くない。
前原国交相が八ツ場ダム視察に訪れた際、推進派住民代表を集めて対話拒否を演出したのは部下であるはずの国交相官僚だ。鳩山政権が沖縄普天間基地の移設先について結論を先延ばしにしたことに、「アメリカが怒っている、日米同盟の危機だ」と煽ったのは外務省官僚だ。報道された「駐米大使が年明けに国務省に呼び出された異例の事態」とは、実は呼び出しでもなんでもなく、大使の自作自演だったことも明らかとなっている。
官僚は自分たちの主導権と権益を必死に守ろうとし、マスコミはその意に沿うかのようにリーク情報を垂れ流す。省庁から独占的に情報を享受する記者クラブ制度は、マスコミの強固な既得権益と化しているからである。
私は、小沢氏が金権政治とは無縁の100%潔白な政治家であるとは思わない。しかし、現在の検察捜査、そしてマスコミの報道姿勢には、戦後日本で初めて達成された政権交代による地殻変動を必死に押し戻そうと暗躍する力を感じざるを得ない。
環境や平和の問題に取り組むNGOの友人たちは、「民主党に政権が代わって以降、大臣秘書官などと直接話せるようになった。自民党時代には考えられない変化だ」と語っている。政権交代は間違いなく日本社会のなかに新しい風を呼び込んでいる。選挙での一票に終始することなく、国民の政治参加とメディア・リテラシーが今ほど問われている時はない。
1月24日放映されたサンデープロジェクトでは、元検事の宗像紀夫氏と郷原信郎氏が全面的に論争。
宗像氏は元福島県知事の佐藤栄佐久氏の収賄事件で弁護を務め、この事件が東京地検による完全なデッチ上げであったと批判している。
郷原氏は、今回の陸山会・裏献金疑惑の検察側証人とされる元水谷建設会長(現在服役中)は、この佐藤氏の収賄事件でも検察側証人となり、公判でその証言が嘘だったことが暴露されていると指摘。
自民党の町村氏に対しても、そもそも自民党だって検察リーク報道を批判していたと。
「89年に高辻法務大臣が、検察リークが問題なら指揮権を発動しなければいけないと語っている。98年には『検察の情報管理のあり方を検討する調査会』をつくっている」
民主党の検察リーク批判を、自民党は政治的打算だけで批判しないほうがいい。
検察の牙が自分たちに振りかかっていたときには、自民党だってリーク報道を批判していたのだから。
1月24日放映されたサンデープロジェクトでは、元検事の宗像紀夫氏と郷原信郎氏が全面的に論争。
宗像氏は元福島県知事の佐藤栄佐久氏の収賄事件で弁護を務め、この事件が東京地検による完全なデッチ上げであったと批判している。
郷原氏は、今回の陸山会・裏献金疑惑の検察側証人とされる元水谷建設会長(現在服役中)は、この佐藤氏の収賄事件でも検察側証人となり、公判でその証言が嘘だったことが暴露されていると指摘。
途中で経済ジャーナリストの財部誠一氏が発言。
「建設業界にヒヤリングしたが、水谷建設が5000万円渡したなんて、この不況のご時世にこんなバカバカしい話はないとみんな口をそろえて言う」
東京地検がデッチ上げた元福島県知事収賄事件でも、元水谷建設会長は同じく5000万を渡したとされているが、この数字をデッチ上げた旧態依然たる頭は、今回も5000万円の収賄事件をデッチ上げたいようだ。
1月24日放映されたサンデープロジェクトでは、元検事の宗像紀夫氏と郷原信郎氏が全面的に論争。
宗像氏は元福島県知事の佐藤栄佐久氏の収賄事件で弁護を務め、この事件が東京地検による完全なデッチ上げであったと批判している。
郷原氏は、今回の陸山会・裏献金疑惑の検察側証人とされる元水谷建設会長(現在服役中)は、この佐藤氏の収賄事件でも検察側証人となり、公判でその証言が嘘だったことが暴露されていると指摘。
郷原氏は、「佐藤氏の弁護を務めた宗像氏が、まったく同様のケースと言える今回の事件ではなぜ東京地検を擁護するのか理解できない」と追及。
時折苦笑いをしている宗像氏。
対立軸と問題点を鮮明にするために、あえて確信犯として検察擁護をしているとすれば大したものだ。
フリージャーナリストの岩上安身氏は、小沢幹事長の政治団体陸山会を巡る検察の強硬な捜査手法に強い懸念を表明している。
http://www.iwakamiyasumi.com/
その岩上氏が、同じく強い危機感を抱いている元検事の郷原信郎弁護士に緊急取材を行った。
新聞やテレビなどのマスコミが検察リーク情報を垂れ流すことに終始するなか、国民が正しく現在の事態を把握するためにと、この取材原稿はコピー・転載自由とされているので、拙ブログでも3回に分けて紹介。
「小沢VS検察」ではなく「石川議員逮捕」こそが最大の問題
名城大学教授・弁護士 郷原信郎
2010年1月15日午後10時、北海道11区選出の石川知裕衆議院議員は、東京地検特捜部に逮捕された。第174回通常国会開会の3日前だった。
戦後日本で初めて、国民の選択によって、民主党中心の連立政権が誕生し、政務三役への権限の集中、官僚答弁の禁止など従来の官僚主導から政治主導へ中央省庁が大きく改革された。従来、官僚だけで密室で行われていた予算編成も、事業仕分けという形で、公開の場で市民の参加の下で行われ、1兆8000億円に上る無駄の削減が行われるなど、日本の政治に劇的な変化が起きた。しかし、それによって編成された予算を審議する場である通常国会に、石川議員が北海道11区の有権者の代表として参加することはできなくなった。
国会議員には憲法によって不逮捕特権が与えられており、会期中は議院の許諾がなければ逮捕されない。会期外で逮捕された場合でも、議院の釈放要求決議あれば釈放される。
それだけに、従来から検察は国会議員の逮捕については慎重な取り扱いをしてきた。政治とカネを巡る問題では1976年のロッキード事件での田中角栄衆議院議員の逮捕以降、10年にわたって国会議員の摘発はなく、久々の国会議員の収賄事件となった1986年の撚糸工連事件、1988年の砂利船汚職事件でも、逮捕は見送られ、任意聴取の後在宅起訴された。そして、8年後の1994年にゼネコン汚職事件で中村喜四郎衆議院議員が逮捕許諾請求の上逮捕されてから、5人の国会議員が逮捕されたが、いずれも、罪名は収賄か、又は裏献金の不記載等の重大・悪質な政治資金規正法違反事件だった。
ところが、今回、石川議員は、前回の選挙で衆議院議員になる前に民主党小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の会計担当者をしていた当時の政治資金の処理手続に関する容疑で、通常国会の開会の3日前という時期に逮捕された。
そのような捜査手法が許されるのか、国会議員の活動に対する検察の介入の是非という観点から徹底的に議論されるのが当然であろう。しかし、マスコミの報道では、「石川議員の逮捕」の是非の問題はほとんど取り上げられず、小沢氏側が「検察と闘っていく」という姿勢をとっていること、鳩山首相を含め民主党がそのような小沢氏を支持していることの是非ばかりが取り上げられ、国民の関心も、小沢氏の聴取がいつ行われるのか、検察は小沢氏を逮捕するのか、などの点に集中している。
今回の容疑事実は、現職の国会議員を国会開会直前に逮捕することを正当化するほどの重大なものなのか。翌日の取調べを待たないで逮捕する事情があったのか、逮捕容疑と逮捕に至る経過を見ると、そこには、重大な問題が浮かび上がってくる。
まず、石川議員の逮捕容疑は、裁判官が発した逮捕状では、平成16年分の政治資金収支報告書の「収入総額」を4億円過少に、「支出総額」を3億5200万円過大に記入した虚偽記入の事実だ。
政治資金規正法では、25条1項2号で政治資金収支報告書に「記載すべき事項を記載しなかった者」、3号で「虚偽の記入をした者」を罰則の対象としている。「収入総額」「支出総額」の欄は、その年の収入と支出を合計したものであり、記載すべき政治献金の収入が記載されていなかったとか、架空の経費が記載されていた事実があれば、それに伴って収入や支出の総額が実際とは違うものになるのは当然だ。収入について過少に報告したということであれば、問題なのは、政治献金等の具体的な収入の記載が行われなかったことや実際より少なく記載されたという問題であって、収入総額の過少というのは、それに伴って当然生じるものに過ぎない。
ところが、今回の石川議員の逮捕の容疑となった被疑事実は、どのような収入・支出が不記載だったのかを特定しないで、全体として収入総額・支出総額が過少だったという政治資金規正法25条1項3号の虚偽記入の事実だけだ。要するに、石川議員が、政治資金収支報告書にどのような事項を記載しなかったのか、どのような不正を行ったのかは、逮捕事実では明らかにされていない。脱税の問題で言えば、どのような収入を隠したのか、どのような支出を架空に計上したのか、というのが犯罪事実の中心のはずなのに、そこが明らかにされないまま、収入の合計金額を少なく申告した、ということだけで逮捕されたようなものだ。
資金管理団体は政治家にとって「政治資金の財布」の役割を果たすものだ。自らの資金管理団体の人件費、事務所費等の経費が不足すれば、代表者の政治家が立て替えるのは当然だ。このような立て替えやその返済も、政治資金規正法上の「収入及び支出」に当たると考え、すべて収支報告書に記載しなければならないとすると、立替えが多い政治家の「収入総額」「支出総額」の記載は、実際の政治活動に係る収支を反映しないものとなる。それが、果たして、「政治活動が誰から、どの企業・団体から資金提供によって賄われ、それがどのように使われているのか」、を国民にありのままに開示されることを目的とする政治資金規正法の趣旨に沿うものであろうか。
政治家との間の立て替え、返済をどこまで収支報告書に記載するかで、いかようにも変わり得る「収入・支出の総額」についての虚偽記入で国会議員を逮捕できるとすれば、検察はどんな政治家も逮捕できることになる。それは、検察が国会以上の強大な政治的権力を持つことになり、民主主義の崩壊を招きかねない。
しかも、さらに問題なのは、石川議員の逮捕事実がそのように不特定なものであることが新聞等ではまったく報じられていないことだ。ほとんどの新聞が、石川議員の逮捕について、見出しでは「4億円不記載」、記事では「4億円の収入と土地代金の支出を収支報告書に記載しなかった」などと、明かに25条1項2号の「不記載罪」の事実であるように書かれていることだ。
実際には収入総額・支出総額の過少記載が逮捕事実なのに、なぜ4億円の「不記載」が逮捕事実のように報じられるのか。逮捕時の検察側の説明が、司法クラブの記者だけを集めて行われ、会見者である地検幹部の発言を直接見ることも聞くことができないので、まったく不明だ。
今回、石川議員は、なぜ逮捕されたのかということを判断する上で最も重要な逮捕事実すら、国民に正確に伝えられないまま、身柄を拘束され、通常国会への出席を阻まれた。国会会期中であれば、国会議員の逮捕には逮捕許諾請求が必要となる。その場合、逮捕の容疑となった事実が具体的に特定され、明確な理由が示されない限り、許諾請求をすることはあり得なかったはずだ。今回のような容疑事実では許諾請求など到底できないので、国会開会直前に逮捕したのではないかと思わざるをえない。
石川議員の逮捕前から行われている本件に関連する報道の中によると、今回の捜査の対象になっている中心的な事実は、水谷建設が国発注のダムの工事受注の謝礼として5000万円を小沢氏側に渡したと社長が供述していることのようだ。しかし、その事実が今回の陸山会をめぐる疑惑の核心であり、石川議員の逮捕もその事実の解明が目的だというのであれば、それが逮捕事実として明示されるのが当然である。それが行われず、収入総額の過少記載などという不特定の事実で逮捕されたのは、検察当局も、この5000の裏献金についての水谷建設の社長の供述の信用性を疑問視していて、その事実の立件は困難と考えているからではないか。
供述の信用性に関する重要な問題の一つは、同社長の贈賄供述で立件された佐藤前福島県知事の汚職事件の判決の認定だ。知事の弟が経営する会社の所有する土地を時価より1億7000万円高く購入して「1億7000万円」の賄賂を供与したという事実で現職の知事が逮捕・起訴されたが、一審判決で賄賂額は7000万円に削られ、控訴審判決では「賄賂額はゼロ」という実質的に無罪に近い判断が示された。また、同社長が脱税で実刑判決を受けて受刑中であることからすると、仮釈放欲しさに検察に迎合する動機も十分にある。これらは同社長の供述の信用性に重大な問題があることを示すものであり、その供述を今回の一連の事件の核心的供述として扱うのは極めて危険だ。
もう一つの問題は、通常国会開会の3日前の夜に石川議員らを急遽逮捕する理由があったのか否かである。
「石川議員の自殺の恐れがあった」「任意聴取を拒否した」などと報道されているが、これらはまったく事実とは異なる。石川氏を支援していたフォーラム神保町の緊急シンポジウムでの佐藤優氏の発言によると、石川氏は、1月14日に東京地検の任意聴取を受け、その夜は同じ北海道選出の衆議院議員の松木謙公氏の自宅に宿泊し、翌日も、佐藤氏と電話で連絡をとり、長時間にわたって話していたが、そのときの様子は至って元気であり、自殺の恐れなどまったくなかったとのことだ。また、次の聴取も翌日の午後1時から予定されており、聴取を拒否するつもりもまったくなかった。ところが、15日の夕刻になって、東京地検から午後8時に出頭するよう要請があり、その要請に応じて出頭したところ午後10時に逮捕された。このような経過から考えて、通常国会開会の直前に石川議員を逮捕する実質的な理由があったとは到底思えない。小沢氏の元秘書の逮捕を世の中に的にアピールし、今回の事件に対する国民の印象を小沢氏や石川議員の犯罪事実が明白であるように印象づけることが目的であったとすると、日本の民主主義を根底から揺るがす暴挙だと言わざるを得ない。
しかし、一方で、検察との全面対決の姿勢を示している小沢一郎氏の側も、土地代金に充てたとされる4億円の資金の出所がマスコミ報道で問題にされ、国民に疑惑をもたれていたのであるから、もっと早い段階で十分な説明を行うべきであった。今回の検察の捜査が、その4億円についての疑惑を追い風に行われていることを考えれば、小沢氏は、まったくやましいことはないというのであれば、この疑惑について国民に対して納得できる説明を行って、異常な事態を一刻も早く収束させるべきだ。
今、日本の議会制民主主義は重大な危機にさらされている。何より重要なことは、「小沢VS検察」というような構図に惑わされることなく、現職の国会議員が通常国会開会の3日前の逮捕という現実に起きた問題について、それがいかなる事実によるもので、どういう理由があったのかについて真相を明らかにすることだ。
フリージャーナリストの岩上安身氏は、小沢幹事長の政治団体陸山会を巡る検察の強硬な捜査手法に強い懸念を表明している。
http://www.iwakamiyasumi.com/
その岩上氏が、同じく強い危機感を抱いている元検事の郷原信郎弁護士に緊急取材を行った。
新聞やテレビなどのマスコミが検察リーク情報を垂れ流すことに終始するなか、国民が正しく現在の事態を把握するためにと、この取材原稿はコピー・転載自由とされているので、拙ブログでも3回に分けて紹介する。これは2回目。
「検察主義の国会議員逮捕」名城大学教授・弁護士 郷原信郎
小沢一郎・民主党幹事長が16日の党大会で行った事件の説明だけでは、疑惑が晴れたとは言い難い。小沢氏は、土地購入資金は土地購入の約6年前に信託銀行から引き出して自宅に保管していた父親の遺産と説明しが、遺産相続のこと、相続後の経過、現金化した目的などもっと詳しく説明しなければ、国民が納得できる説明とは言えない。
一方で、現職の国会議員を国会召集の3日前に逮捕した検察の捜査の方にも大きな問題がある。小沢氏が自宅を購入した4億円の出所に問題があるという報道があるが、収入・支出の総額が過少だったというだけで、具体的にいかなる支出・収入が記載されていなかったのかが特定されていない。疑われている事実を特定すらしないようでは、国会議員の逮捕許諾請求は困難だったと思われる。
代表者の政治家による資金団体の経費の立て替えなどをどこまで収支報告書に記載するかで、収入・支出の総額はいかようにも変わり得る。その処理方法の話を収入・支出の総額の虚偽記入だとして国会議員を逮捕できるとすれば、検察はどんな政治家も逮捕できることになる。それは、検察が国会以上の強大な政治的権力を持つことになり、民主主義の崩壊を招きかねない。
そもそも職務権限や時効の問題があって、収賄、談合、脱税など政治資金規正法以外での立件は考えにくい。水谷建設が国発注のダムの工事受注の謝礼として5000万円を小沢氏側に渡したと社長が供述していると報道されており、それが今後の捜査の最大のポイントになっているようだが、その社長の贈賄供述で立件された佐藤前福島県知事の汚職事件の控訴審判決で「賄賂額はゼロ」とする実質的に無罪に近い判断が示されている。また、脱税で実刑判決を受けて受刑中であること、仮釈放欲しさに検察に迎合する動機も十分にあることなどから今回の一連の事件の核心の供述として扱うのは危険だ。
フリージャーナリストの岩上安身氏は、小沢幹事長の政治団体陸山会を巡る検察の強硬な捜査手法に強い懸念を表明している。
http://www.iwakamiyasumi.com/
その岩上氏が、同じく強い危機感を抱いている元検事の郷原信郎弁護士に緊急取材を行った。
新聞やテレビなどのマスコミが検察リーク情報を垂れ流すことに終始するなか、国民が正しく現在の事態を把握するためにと、この取材原稿はコピー・転載自由とされているので、拙ブログでも3回に分けて紹介する。
「石川議員の釈放要求を国会で決議せよ~民主党政権VS検察・マスコミ連合軍の最終対決」
名城大学教授・弁護士 郷原信郎
今日の夕方、15日に逮捕された石川知裕議員が、政治資金収支報告書に4億円の記載を年度をずらして記載した虚偽記載について、事前に小沢一郎民主党幹事長に了承を得ていた、という内容の供述を行ったと、一部で報じられました。これをもって、検察が、小沢氏への逮捕に踏み切るかどうかですが、私は、検察が小沢氏逮捕まで考えている可能性は十分あると思います。もうここまできたら、いくしかないと、検察幹部は腹を決めているのかもしれません。
昨日(1月19日)の、毎日新聞の夕刊にも談話形式で原稿を出しましたが、そこでも述べたことですけど、水谷建設から5000万円の裏金が支払われたという、水谷建設元幹部の証言には信用性に疑問があり、それで公判を維持してゆくのは、まず無理です。公判には耐えられません。
この元幹部の贈賄容疑で立件された佐藤栄佐久前福島県知事の汚職事件の控訴審判決で、「賄賂性はゼロ」と断定され、無罪に近い司法判断が下されています。また、この幹部は実刑判決を受けて受刑中であることを考えると、仮釈放欲しさに検察に迎合する可能性があり、この証言を持って、あっせん収賄の核心の証拠とするのは、危険すぎます。
もともとのシナリオは、4億円というお金がやましいお金であり、それを隠すために虚偽記載が行われた、というものだったはずです。そのシナリオがあるからこそ、マスコミ各社も、ここまで検察に引っ張られてきたはずです。小沢氏が、ゼネコンなどから裏金をもらったというなら、強硬な捜査を行うのもやむをえないという考え方ですが、それも、あっせん収賄も、談合も、脱税も立件が難しいとなると、このまま無批判に検察に従っていって、いいのでしょうか。
おそらく検察は、悪質性が高い容疑で小沢氏を立件することはできず、結局、4億円の不記載(記載すべき年度に記載しなかったこと)で、立件するしかない。しかしそれは無謀な話です。形式犯にすぎません。たしかに虚偽記載は、最高刑は禁錮5年ですが、その中にはきわめて軽微な、処罰しづらいささいな金額のものも含まれます。たとえば1万円、2万円程度の金額の「虚偽記載」でも、法定刑としては「最高禁錮5年」なのです。その中で、どの程度の重さに該当するかは、また別の問題です。
今回は、4億円と、額面の金額は大きくても、不動産を買うためのお金を建て替えであったら、極めて軽微である、と言えます。
軽い罪でも、禁固5年程度の罰が設けられているものは他にも少なくないのであり、法定刑をそのまま額面通りに適応するべきものではありません。量刑というのは、法的な常識というものが働くものであり、ここまで強硬な捜査を行って、重い量刑を課すほどの悪質性の高い犯罪とはいえません。
そもそも、現職の国会議員である石川議員の身柄を、国会の開会直前に、この程度の軽微な罪状で、拘束すること自体が不当です。検察は、どうかしている。身柄を拘束されて検察の取り調べを受ければ、石川議員でも誰でも、「小沢氏の承諾を得て記載した」と言わされますよ。わけもないことです。取調室の中で、そう言わされている石川さんは、それがどういう意味をもつか、よく理解できていないでしょう。
こんな無茶な捜査で、国会議員を逮捕し、さらには与党の幹事長という要職にある人物まで逮捕しようとするなど、本当なら考えられません。「狂気」としか言いようがない。
国会議員は、国会の会期中は不逮捕特権があります。逮捕するには、国会の許諾が必要になります。石川議員は、国会の会期前だったので、不逮捕特権がなく、逮捕されてしまいましたが、衆議院において釈放要求が議決されれば、検察は石川議員の身柄を釈放しなくてはなりません。そのうえで、石川議員自身は説明責任を果たすと同時に、国会で身柄拘束相当の罪なのかどうか、衆院で議論すればいいのです。
その次の段階として、検察があくまで強硬に、小沢氏を逮捕しようとするなら、国会に許諾請求することになりますが、民主党が多数を占める国会では、この請求は認められないでしょう。しかし、国会が閉幕すると、会期外になりますので、不逮捕特権がなくなります。もし、会期が終わってから以降に小沢氏を逮捕しようとするなら、最終的には、指揮権の発動も考えらえます。そうなると、民主党中心の政権と、検察・マスコミ連合軍との、最終的な全面対決になるでしょう。
この問題は、小沢氏や石川氏だけの問題ではすみません。もし、検察・マスコミ連合軍が勝ったとしたら、今後、誰でも軽微な形式犯で逮捕・起訴できることになります。どんな国会議員でも、検察が目をつけたら、必ず逮捕されることになりますし、身分が保障されている国会議員ですら、そうであるなら、一般の国民はいかようにでもなります。そうなったら、本当に民主主義社会の崩壊となります。
最後は、世論次第だと思います。国民の意志で決まるのです。その点では新聞・テレビなどのマスコミが追随してきている検察が、現状ではかなり有利です。ただ、私は常識的にこんな検察の「暴走」は、さすがにマスコミも支持しないのでは、と思っていますが、こればかりはどうなるか、私にもわかりません。
世論を形成するのはマスコミの影響が大きいものですが、こういう状況ですから、私のような意見が反映されなくなる可能性はありえます。多くの国民の皆さんに元検事であり、弁護士である私の意見も広く読んでもらって参考にしてもらい、考えてもらいたいと思います。
日米地位協定では、アメリカ軍が使用する施設および区域、路線権などは日本が提供するが、維持経費はアメリカが負担すると規定されている。
しかしこれをなし崩し的に反故にし、法的根拠のない「思いやり予算」が日本政府によって大盤振る舞いされてきたことは周知の通りだ。
「思いやり予算」は1978年度から開始され、米軍基地内の日本人労働者の労務費、米軍の隊舎や家族住宅などの施設整備費、光熱水費、訓練移転費なども負担している。
その額は最大で在日米軍駐留経費の80%近くに及ぶ。
しかも、米軍基地や演習場などでは、実弾射撃訓練による山林の火災、赤土流出による河川・海域の汚染、毒ガスや廃油など有害物質の放置がまかり通っている。
地位協定では、こうした基地内の環境汚染などについて米軍はすべて免責されているのだから驚きだ。
地位協定第四条「施設・区域の返還に際しての原状回復、補償問題」では以下のように記されている。
「合衆国は、この協定の終了の際又はその前に日本国に施設及び区域を返還するに当たって、当該施設及び区域をそれらが合衆国軍隊に提供された時の状態に回復し、又はその回復の代りに日本国に補償する義務を負わない」
米軍は日本国土をどれほど破壊しようが、汚染しようがやりたい放題というわけだ。
米海軍第七艦隊が司令部を置く横須賀。
昨年初めて原子力空母ジョージ・ワシントンが配備された。
ジョージ・ワシントンが搭載する原子炉は120万キロワット。
横須賀に大型の原子炉が出現したのと同じ意味をもつ。
横須賀から100キロ圏内の首都圏には、3000万人が住んでおり、万一原子炉で重大事故が起きれば取り返しのつかない被害が生まれる。
その際、米軍はどのような責任を取るのか?
外務省機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』を読めば、外務省はひそかに米軍が引き起こす原子力事故について想定し、日本の原子力損害賠償法を適用して処理すると決めていたことが分かる。
その法的根拠は、日米地位協定の中に強引に読み込もうとしているのだ。
地位協定第一八条「請求権・民事裁判権」ではこう記している。
「公務執行中の合衆国軍隊の構成員若しくは被用者の作為若しくは不作為又は合衆国軍隊が法律上責任を有するその他の作為、不作為若しくは事故で、日本国において日本国政府以外の第三者に損害を与えたものから生ずる請求権は、日本国が次の規定に従って処理する」
「請求は、日本国の自衛隊の行動から生ずる請求権に関する日本国の法令に従って、提起し、審査し、かつ、解決し、又は裁判する」
つまり日本国内で米軍が引き起こす事故などに関しては、自衛隊が事故を起こした際に適用される法律に基づいて損害請求が行われることになる。
しかし自衛隊は原子力艦船を保有していないから、原子力事故に関する規定は存在しない。
そこで外務省が考えたウルトラCが「増補版」には記されている。
なんと一般の原発事故の際に適用される原子力損害賠償法を米軍にも適用するのだ。
「原子力損害の賠償に関する法律もここでいう『日本国の法令』に該当する」
実は既に1964年米原潜の寄港に際し、米側とは万一の事故の際に原賠法を適用する旨を確認していた。
「日本国の船舶に適用される限度において、通常の原子力潜水艦に係る原子力事故で、放射能汚染による疾病を含め負傷又は死亡をもたらしたものについての請求の処理」
原賠法では、原子力事故の被害者に600億円を限度として損害賠償し、これを超える損害が発生したときは、必要に応じ国会の議決に基づき政府の権限の範囲内で援助を行うとされている。
法律制定に当たって政府が秘密裏に行った原発事故の被害想定が余りにも巨大で、これを一企業が引き受けることにしては原子力産業が育成できないと判断し、賠償限度額をわずか600億円に設定した悪法だ。
それでも日本国内の原子力事業者は、原賠法の適用を受けるためには発電所ごとに保険業者と「原子力損害賠償責任保険契約」を締結している。
またこの保険ではカバーできない種類の原子力損害を賠償するため、国と発電所ごとに「原子力損害賠償補償契約」を締結しなければならない。
米軍がこのような契約を結んでいないことは明らかだろう。
にも関わらず原賠法は米軍の原子力事故にも適用されるとしたら、最初から米軍を免責しているようなものだ。
さらに地位協定には以下のように銘記されている。
「合衆国のみが責任を有する場合には、裁定され、合意され、又は裁判により決定された額は、その二十五パーセントを日本国が、その七十五パーセントを合衆国が分担する」
100%米軍の過失により引き起こされた原子力事故であっても、その被害額のうちの四分の一は日本国民の税金で補償される。
横須賀で原子力空母が放射能事故を起こしても、政府や外務省にとって何よりも大切なのは米軍の便益なのだろうか?
首都近郊に存在する米軍横田基地は、東京西部から新潟県、八ヶ岳付近、伊豆半島に及ぶ1都8県に広がる横田空域を独占的に管制してきた。
1992年に一部が返還され、さらに2008年9月には羽田空港の西側にあたる南半分のうちの約40%(横田空域全体の約20%)が日本側に返還された。
また北半分についても高度規制が引き下げられた。
それでも基本的には今なお、日本の首都圏の空はアメリカ軍によって制空されている。
このことは、年々増加する航空需要のなかで、空の過密状態を引き起こしている。
2001年1月31日、静岡県焼津市上空で、あわや大惨事となりかねない日本航空機同士のニアミス事故が発生した。
こうした事故の背景には、民間航空機を閉め出している横田空域の存在がある。
この米軍による独占的な航空管制は、日米地位協定のなかで明文化されているわけではない。
第六条「航空・通信体系の協調」では次のように記されているだけだ。
「すべての非軍用及び軍用の航空交通管理及び通信の体系は、緊密に協調して発達を図るものとし、かつ、集団安全保障の利益を達成するため必要な程度に整合するものとする」
つまり米軍は何の法的な根拠もなく、首都圏や沖縄での航空管制を牛耳っているわけだ。
ゆえに外務省機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』の中で、外務省自ら次のように吐露している。
「管制業務を米軍に行わせている我が国内法上の根拠が問題となるが、この点は(略)合同委員会の合意のみしかなく、航空法上積極的な根拠規定はない」
ところが我が外務省は、「だから1日でも早く日本側に管制権を戻すべきだと」と考えるのではなく、こんな風に考えている。
「米側が必要な限り我が国民間機にサーヴィスを提供している空域であって、我が方にとって特に支障となるものではない」
自国の首都上空の管制権を米軍に委譲し、自国民間機は米軍からサーヴィスをしてもらっているから何の問題もないとの発想は、外務省が米軍の下請け化していることを示している。
神奈川県の米軍横田基地には「在日米軍司令部」と「第5空軍司令部」が存在する。
基地では昼夜を問わず米軍機が発着し、周辺住民に深刻な騒音被害をもたらしてきた。
ベトナム戦争中には、低空で飛行する米軍機による衝撃波のため、風呂場のガラス窓が割れて浴室に落下し、入浴中の住民が大ケガを負うという事故も起きている。
基地被害に苦しむ周辺住民が、国に対して夜9時から朝7時の飛行差し止めと損害賠償を請求する訴訟を行い、1993年に以下の判決が最高裁で確定した。
「米空軍『横田基地』の軍用機の飛行騒音は、周辺住民の生活を違法に侵害している。国は原告に損害賠償を支払え」
しかし飛行差し止めについてはこう述べるに留まった。
「飛行騒音を発生させているのは米軍であり、横田基地の施設管理権のない日本政府は騒音の発生を防止する立場にない」
そこで米政府を被告として新しい訴訟が開始されたが、最高裁は却下。
「米軍機の飛行は、アメリカ合衆国政府の主権的行為であり、民事訴訟上、日本の裁判権は及ばない」
つまり在日米軍のもたらす被害について、基地周辺住民は、日本政府にも米国政府にも、被害の除去を法的に訴える権利を持ち得ないということなのだ。
その根拠とされているのが日米地位協定である。
第3条「施設・区域に関する合衆国の権利」にはこう記されている。
「合衆国は、施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」
米軍が必要だと判断すれば、24時間演習を行おうが、周辺住民にいくら迷惑がかかろうがお構いなしだ。
これについて外務省は機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』でこう合理化する。
「法令の執行のために施設・区域内において米軍の活動が結果的に諸種の規制を受けることとなったのでは、軍隊としての機能を維持できず、任務を有効に遂行しえないこととなる」
「したがって(略)米軍に対しては、施設・区域の管理権を認め、法令の現実の執行は、かかる米軍の管理権を侵害しないかたちで行う」
外務省は、自国民の権利よりも、米軍が「軍隊として機能」することを優先すると公然と語っている。
市街地の真中にある沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落した事故。
まかり間違えば多くの人命が犠牲となったかもしれない。
しかし現行の日米地位協定では、たとえ米軍機墜落事故で多数の日本人犠牲者が出たとしても、米軍が日本の警察権や司法権の下で捜査されたり裁かれたりすることはない。
事故原因が整備不良や操縦ミスであったとしても、事故は「公務中の犯罪」にしかならず、第一次裁判権は米軍側に存在するのである。
日本国内で米軍が治外法権を持っているかのように振舞うことができる日米地位協定とは一体いかなるものなのか?
日米地位協定の正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」である。
その名が示すように、日米安保条約を補完するものとして安保条約締結と同時に1960年1月19日に締結された。
外務省機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』では、冒頭に「地位協定が第二次大戦後の一般的現象となった理由」として次のように述べている。
「第二次大戦以前には、特定の例外的場合を除き、平時において一国の軍隊が他国に長期間駐留するということが一般的にはなかった」
しかし第二次大戦後の東西冷戦下、NATOをはじめとしてアメリカ軍が同盟国に長期かつ大規模に駐留するような時代状況となり、地位協定が必要となったわけだ。
逆に言えば、冷戦終結後日米安保の在り方そのものを見直すべき時代になりながら、未だに安保体制の護持のために米軍の都合に合わせて次々と地位協定を恣意的に解釈・運営していることに問題の本質がある。
沖縄・普天間基地の移設を巡って鳩山政権とアメリカ側との攻防が始まっている。
市街地の真ん中に基地が存在し、日常的な危険にされされている沖縄の人々。
それを象徴する衝撃的な事故が2004年8月13日に起きた。
沖縄国際大学構内に米軍海兵隊ヘリが墜落したのだ。
事故直後、米兵約50人が沖縄国際大学構内に入り、一方的に事故現場を封鎖した。
米軍によって本館から大学職員は退去させられ、沖縄国際大学の学長すら構内に入れなかった。
米軍は日本側に何の説明もすることなく一方的に事故機を回収すると共に、現場の土を大量に持ち去っている。
恐らく機体部品に使用されていた放射性物質の汚染を隠蔽するためだろうと言われている。
沖縄県警が合同で現場検証を申し入れても米軍側は「日米地位協定」を盾にこれを拒否した。
現場検証を拒否された沖縄県警幹部は、「こんなばかなことは直さないといけない。操縦士の名前すら教えてもらえていない」と憤慨したほどの屈辱的事態だった。
前原国交相は、2010年10月に羽田空港の第4滑走路が完成することを契機に、羽田への国際線乗り入れ=ハブ空港化を進めると発言。
成田空港や関西新空港の存在価値を根底から揺さぶるこの発言は、大きな波紋を生んでいる。
しかし、そもそも羽田のハブ空港化構想は前原大臣が突然言い出したわけではない。
例えば自公政権時に安倍首相は、所信表明演説で「アジア・ゲートウェイ構想」を提唱していた。
ヒト、モノ、カネ、文化、情報の流れの中で、日本がアジアと世界の架け橋=玄関となる。
この構想の実現のためには、ヒトやモノの流れの中心となる空港と港湾の24時間運用は必須の課題だった。
ゆえに安倍は経済財政諮問会議の席上、次のように発言していた。
「空港や港の24時間化が難しいのは分かっているが、時間を置かずに安倍内閣で解決する」
首都圏で24時間運用が可能な空港は羽田しかないから、この発言は事実上、羽田の24時間国際空港化を宣言したに等しい。
私の愛読書『ローマ人の物語』で、塩野七生はこう語っている。
「人間にとっては、ゼロから起ちあがる場合よりも、それまでは見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほどの難事業になる。
後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫られるからである。
自己改革ほど、とくに自らの能力に自信をもつのに慣れてきた人々の自己改革ほど、むずかしいことはない。
だが、これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。
グラックス兄弟以降のローマのエリートたちの苦悩は、まさにこの点より発していた」
長らく左翼運動に関わっていた私自身、この言葉の意味を嫌と言うほど味わった。
所謂「団塊の世代」と呼ばれる人たちには、特にこの「成功体験」へのこだわりが強い。
40年近く前の左翼運動の一時的高揚。
その際のわずかな成功体験にこだわり続け、時代の変化にまったく対応できない。
にも関わらず既得権益にはしがみつこうとし、歳を重ねる毎に堕落していく。
そんな姿を目の当たりにした。
八ッ場あしたの会は、「八ッ場ダムについて流されている情報の誤りについて」と題して次のように指摘し、ホームページで詳細なデータに基づいて逐一批判している。
http://yamba-net.org/modules/problem/index.php?content_id=22
八ッ場ダム事業について、関係各都県の知事や国土交通省から主に次のような情報が流されていますが、いずれも事実に基づくものではありません。
I. 八ッ場ダム事業は継続したよりも中止した方が高くつく。
II. 八ッ場ダムはすでに7割もできているので、今さらストップできない。
III. 八ッ場ダムの暫定水利権がダム中止に伴って失われる。
IV. 大渇水到来のために八ッ場ダムが必要。
V. 八ッ場ダムは利根川の治水対策として重要。
マスコミはなぜ国交省の見解を垂れ流しするのか?
とてもまともに取材しているとは思えない。
前原国交相は今日、八ッ場で地元住民と話し合いをするが、長年ダムに翻弄されてきた地元の人たちにきちんと謝罪をした上で、ダムを中止しても国が責任をもって生活再建を支援することを約束し、中止への理解を得るように努力すべきだろう。
ちなみに私は今年2度現地を訪れたが、ダム関連工事により吾妻渓谷の周辺はズタズタになっている。
地元の人たちはダム湖が観光資源になると期待しているかもしれないが、山肌は削られ、周辺に住宅が立ち並ぶダム湖が観光資源になるとはとても思えない。
大規模に観光地化された草津温泉、山奥の風情ある四万温泉、その両者に挟まれて川原湯温泉街が生き残るためにはどうすればいいのか?
群馬県の後押しを受け、群馬大の某教授は「ダイエットバレー構想」なるものを打ち出しているらしい。
30代女性をターゲットとしたエクササイズセンターをつくり、吾妻渓谷をデスバレーならぬダイエットバレーにする。
女性客が来ればそれに釣られて男性客もやって来るという、何とも浅はかな構想だ。
旧態依然たるハコモノに依存する発想。
こんないい加減なプランしか提起できない群馬県知事が、声を荒げてダム建設中止を批判するのは笑止千万だ。
先の総選挙では、自民党への圧倒的な逆風にも関わらず、父小泉純一郎の地盤、看板、カバン(金)を引き継いだ息子の小泉進次郎氏は初出馬で当選。
そして最近、小泉と共に構造改革の旗振り役を務めた竹中平蔵は、人材派遣大手パソナグループの取締役会長に就任した。
医師であり作家でもある鎌田實氏は、自らのブログでこう竹中を皮肉っている。
http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-5524.html
竹中平蔵さんへ
あなたは、人材派遣大手のパソナグループの取締役会長に就任したそうですね。
あなたのイカサマ改革のおかげで、年収200万以下のワーキングプアが1700万人を超すような時代になりました。
格差は広がり、資本主義社会にとって大切な分厚い中流を壊してしまいました。
そんな時代、ぬれてに粟で、急成長していった派遣大手のパナソグループ。
パソナは平蔵改革により、2倍の増収になり、2008年には2369億円の収入を得ています。
そのパソナのトップに、あなたが就任するというのは、なんとも出来すぎているような気がします。
既得権益を打破することを目指した小泉構造改革は、肝腎の公務員天下りなどには一切手をつけることなく、庶民のセーフティネットだけを破壊した。
その一方で、市場原理を声高に叫んだ本人たちは、政治活動を通じて獲得した地縁・血縁・コネを最大限に利用して甘い汁を吸っている。
まさに鎌田氏が指摘する通り、構造改革がいかにイカサマ改革であったのか自ら暴露しているわけだ。
間もなく9月11日。
2001年のその日、世界は衝撃に包まれた。
ニューヨークの世界貿易センタービルやペンタゴンに旅客機で突っ込む、前代未聞の同時多発テロが起きたのだ。
このテロを機に、怒れるアメリカは雪崩をうつようにアフガン空爆からイラク戦争へと突き進んだ。
そのブッシュ政権のなかで強い影響力を持ったのがネオコンである。
本書は、彼らの思想的、人脈的なルーツを解き明かすと共に、イデオロギー的には「理想主義」でありながら、政治的には「現実主義」に徹するがゆえのその危険性を指摘した。
ネオコンもビンラディン氏らもいくつかの面では奇妙に似通っている。
どちらも防衛のために先制的に敵を叩くという戦略では共通している。「アメリカ型民主主義」か、「イスラム急進主義か」の違いはあれ、武力を伴って自らの「主義」(イズム)に基いて世界を染め上げようという点も同じだ。
さらに両者とも、その「主義」については徹底して非寛容である。
ネオコンもビンラディン氏のグループも小さな「セクト」に結束して世界を語り、外野の異論が高まるほどその内部結束が強固になるという性格を持つ。
自らの卓越した先見性と優秀さを確信し、支持者の頭数など二の次である。これはある種のロシア革命を牽引した「ボルシェビズム」の変形なのかもしれない。
民主党が公約に掲げた八ツ場ダム建設中止。
政権交代が現実のものとなり、国土交通省は八ツ場ダム(群馬県)本体工事の入札を延期した。
議会制民主主義である以上、国交省が入札を中止したのは当然だ。
民主党は突然八ツ場ダム中止を言い出したのではなく、先の総選挙で公約の一つに掲げて圧倒的な支持を得た。
有権者に対する責任を果たそうとすれば、八ツ場ダム中止は当然の選択だ。
ところが、これに対して様々なリアクションが起きている。
東京都の石原都知事は、「東京だって分担金を出資した。これが国の意思で(建設が)中止になったら当然、返還請求する」と述べた。
石原都知事は意図的に国と東京都の対立としてこの問題を描こうとしているが、とんでもないレトリックだ。
東京が分担したと言うが、そのお金は国民が納めた税金である。
その国民が、民主党政権を選択したのだ。
なぜか? ダム建設をこれ以上無理矢理進めることは、さらなる税金の浪費にしかならないと判断したからである。
この点について、八ツ場あしたの会の渡辺洋子さんは次のように語っている。
http://www.actio.gr.jp/2009/09/04142940.html
「国の名勝、吾妻渓谷に八ッ場ダムをつくる最初の構想が発表されてから、今年で57年目になる。国は総選挙後、いよいよ本体工事に着手し、2016年3月までにダムを完成させるという。けれども、工事の進捗状況からすれば、予定通りにダムができる可能性は限りなくゼロに近い。
八ッ場ダムは今世紀に入ってから、工期の延長と事業費の増額を繰り返し、関係都県(首都圏1都5県)の議会は計画の変更を三度呑んできた。しかし、四度目の計画変更がすんなり受け入れられるとは考えにくい。東京など下流都県は、昨年、三度目の計画変更を呑むにあたって、『やむを得ないものとして同意』したものの、工期の再延長、事業費の再増額が今後ないよう求める異例の意見を付した文書を国交大臣に提出している」
渡辺さんは、「付け替え国道の進捗率はわずか3%」だとも暴露しているが、八ツ場ダムの付帯工事は大幅に遅れ、JR吾妻線の川原湯温泉駅代替地の取得の目処すら立っていないのが現状なのだ。
石原都知事は、八ツ場ダム建設はすべて国の責任であるかのように被害者ぶって語っているが、そもそもこんな無駄なダム建設に追随してきた東京都の責任も問われているのだ。
7月の都議会選挙でも、八ツ場ダムを容認してきた与党自民・公明は惨敗したことを忘れてはならない。
ダム建設を続けるにしても、中止して地元住民の生活再建のために様々な補償を行うにしても、すべてそれを負担するのは国民なのである。
ところが石原都知事は、あたかも「東京都の金=自分の金」であるかのようなレトリックを使って問題の本質を誤魔化している。
民意によって選択される八ツ場ダム建設中止に文句を言う暇があるなら、自らの独断専行で立ち上げた新東京銀行が大失敗して500億円を超える負債を出した責任にこそメスを入れるべきだろう。
その負債額は、東京都がこれまで八ツ場ダム事業で負担してきた457億円をはるかに上回り、さらに400億円追加融資を都民に負担させたのである。
「新東京銀行の赤字分を埋め合わせするために、八ツ場ダム事業の負担金を返して欲しい」とでも言えば、まだ少しは整合性があるが、いずれにしても石原都政の主体的責任こそが問われている。
『ネオコンの論理』(光文社)の著者ロバート・ケーガンは、ブッシュ政権の外交政策を先導したシンク・タンク『アメリカ新世紀プロジェクト』(PNAC)の思想的支柱を務めた論客だ。
PNACの発足にあたって、ブッシュ政権のチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、アーミテージ国務副長官、ウルフウィッツ国防副長官などの閣僚が発起人に名を連ねたことを考えれば、ケーガンがどれほどブッシュ政権に影響力を与えたのかよく分かる。
本書のベースとなった論文は9・11テロ後、『力と弱さ』と題されてヨーロッパ向けに発表された。
その内容に衝撃を受けた当時のプローディ欧州委員会委員長が、EUの全官僚に必読文献として回覧を命じたほどだ。
本書を一読すれば、ブッシュ政権がなぜ国連を無視し、全世界の反対の声を踏みにじってイラク戦争に踏み切ったのかが良く分かる。
その主張は余りにも単純明快だ。
全世界の秩序を守るためには、アメリカの圧倒的な軍事力が不可欠なこと。
同時に圧倒的な軍事力を持っているがゆえに、アメリカとそれ以外の国とでは、「脅威に対する認識」が異なっていると主張している。
「はじめに」では次のように語る。
「ヨーロッパは軍事力への関心を失った」
「歴史の終わりの後に訪れる平和と繁栄の楽園、十八世紀の哲学者、イマヌエル・カントが『永遠平和のために』に描いた理想の実現に向かっているのだ」
「これに対してアメリカは、歴史が終わらない世界で苦闘しており、十七世紀の哲学者、トマス・ホッブズが『リバイアサン』で論じた万人に対する万人の戦いの世界、国際法や国際規則が当てにならず、安全を保証し、自由な秩序を守り拡大するにはいまだに軍事力の維持と行使が不可欠な世界で、力を行使している」
現在の日本の社会保障の基本は社会保険。年金制度も、保険料を支払った分だけ受給できる社会保険の一環だ。
社会保険庁の杜撰・怠慢が暴露されて「宙に浮いた年金」問題が噴出したが、そもそも日本の年金制度のルーツは戦費調達にあった。
政府が自由に使えるお金を確保するために生まれたわけで、最初から保険料をきちんと国民に返す気などなかったのだ。
社会保険庁の年金記録がいい加減な理由の根拠は、こうした年金制度のルーツそのものにある。
8月15日を前後して戦争を巡る様々な報道番組が放映された。
そのなかには、マスコミの戦争責任を問い直す番組もあった。
言うまでもなく戦争中、朝日や読売などのほとんどのマスコミは翼賛体制に迎合し、大本営発表を垂れ流しながら戦争を煽り続けた。
まさに国民を積極的に戦争に動員する役割を果たしたのだ。
彼らは戦後、それを深く反省したはずだ。
しかしながら、イラク戦争報道において同じ過ちを繰り返した。
こう指摘するのは、作家の辺見庸だ。
彼は『抵抗論』(毎日新聞社)Ⅲ章の「実時間の表現」のなかで、2003年4月24日付朝日新聞朝刊で取り上げられたイラク戦争報道を巡る記事を取り上げている。
この記事のテーマは、「『進攻』か、『侵攻』か。米英軍がクウェートからイラクに攻め入った地上戦をめぐり、日本の新聞各紙や通信社は言葉の選び方が異なっていた」との内容だった。
かって辺見が勤めていた共同通信は、米地上軍がイラクへ侵略を開始した事実を、4月21日付朝刊用に配信した。
その記事の見出しは「米軍がクウェートから進撃」とされた。
その理由について辺見の元同僚である編集局次長はこうコメントした。
「『侵攻』か『進攻』かは、世論を二分している問題で、価値判断を伴う言葉を配信先に押しつけるのは不適切と判断した」
辺見はこのコメントに激しく憤っている。
毎年この時期に問題となる首相の政治家の靖国神社への参拝。
さすがに総選挙を目前に控えて、麻生首相は公式参拝を見送ったが、小泉、安倍の元首相は参拝した。
この問題を巡る日中間の歴史的経緯について、自民党の河野太郎衆議院議員は、自らのメールマガジンのなかで「中国側の言い分」として次のように整理している。
「もともと靖国神社に日本の総理大臣が参拝することに対して、中国政府から抗議や反発はありませんでした。三木武夫首相は在任中に靖国神社に参拝していますし、昭和天皇も靖国神社に参拝されていました」
「A級戦犯が、1978年に、靖国神社に他の戦没者と一緒に合祀されてしまったことが、この靖国神社問題の発端です」
8月30日の衆議院選挙投票を前に、「エコ議員つうしんぼ」が発表されている。
全国各地で山積する環境問題に関して、各立候補者がどのように考えているのかを一目瞭然にさせる通信簿だ。
エネルギーや農業、開発など、持続可能な未来を見据えた全25項目のアジェンダを法案の形で提起。
これへの回答を以下のように評価する。
「自分が国会に提出してもいい政策である」(4点)
「誰かが国会に提出してくれれば賛成する」(3点)
「自分は賛成したいが国民の理解がなかなか得られないと思うので保留」(2点)
「賛成しない」(1点)
「無回答」(0点)
現在も回答を回収中で、随時アップ数は増える予定だそう。
そもそも無回答の人は、市民の質問に答えようとすらしないのだから問題外だろう。
自分の住んでいる選挙区の候補者がどんな回答を寄せているか、早速確認してみよう!
エコ議員つうしんぼをチェック → http://giintsushinbo.com/
民衆の抵抗権、革命権を重視する立場から、アメリカの独立時には、民兵制か常備軍かを巡る議論が活発に行われた。
国家の自衛権や常備軍の是非を論議するならば、それが民主主義社会にとって本当に必要なものなのか? 必要だとすれば、それが民衆抑圧に転化しない保障措置をどうやって講じるのかをきちんと論議すべきだ。
少なくとも建国時のアメリカにおいては、こうした議論がかなり突っ込んで行われたのである。
例えばヴァジニア権利章典では次のように述べている。
「武器の訓練をうけた人民の団体よりなる規律正しい民兵は、自由な国家の適当にして安全なる護りである。平時における常備軍は、自由にとり危険なものとして避けなければならない。いかなる場合においても、軍隊は文権に厳格に服従し、その支配をうけなければならない」
常備軍は政治権力によって民衆抑圧に使われる危険性が高く、主権者たる民衆自身による組織的統制のとれた民兵制度こそが民主主義にとってふさわしいと考えていたわけだ。
しかしながら、アメリカ独立時のこうした考え方は、独立戦争を経て、1788年の連邦憲法制定までの過程で徐々に変化していく。
世界ではじめて作られた成分憲法は、1776年から1789年にかけて制定されたアメリカ諸州の憲法だ。
イギリスの大陸支配に抗して1776年7月4日に発せられたアメリカ『独立宣言』では、次のように謳った。
「長く存続した政府は、軽微かつ一時的な原因によっては、変革さるべきでないことは、実に慎重な思慮の命ずるところである。したがって、過去の経験はすべて、人類が害悪を堪えうるかぎり、彼らの年来従ってきた形式を廃止しようとせず、むしろ堪えようとする傾向を示している。
しかし、連続せる暴虐と簒奪の事実が、明らかに一貫した目的のもとに行われ、人民を絶対的暴政のもとに圧倒せんとする企図を明示するにいたるとき、そのような政府を廃棄し、みずからの将来の保安のために新たなる保障の組織を創設することは、彼らの権利であり、また義務である」
「グランドプリンスホテル新高輪」は昨年2月、日教組主催の「教育研究全国集会」の会場使用を一方的に拒否した。
一度正式契約したにも関わらず、「右翼の街宣などで周囲に迷惑がかかる」と解約を主張。
これに対して日教組側は使用を認める仮処分を求め、東京高裁は「ホテル側が日教組や警察当局と十分打ち合わせることで混乱は防止できる」としてホテル側の抗告を棄却する決定をした。
にも関わらずこのプリンスホテルはあくまで使用を拒否。
当時私は旧ブログで以下のように主張した。
近代市民社会は基本的に法律に定められた契約関係、権利・義務関係のなかで成立している。
これが何人にであろうと公平・公正に適用されることが、社会的正義の実現と合意形成にとって不可欠だ。
法治主義のもとでは、政治権力が恣意的に法律を運用し適用することは許されない。
ましてや、個人の精神的な領域での善悪や好悪にまで権力が口出しすることは、「内心の自由」を脅かすパターナリズムの弊害として厳しく排斥されるべきだ。
J.S.ミルは主著『自由論』において、パターナリズムの弊害について実に示唆に富む指摘を行っている。
大阪でパチンコ店に放火する無差別殺傷事件が起きたが、明らかにこれを真似たと思われる事件が千葉で起きた。
ハローワークの職員が、仕事を斡旋してくれないと不満を抱いた女性にガソリンで火をつけられたのだ。
こうした事件が起きる度にマスコミは大騒ぎするが、模倣犯罪=モデリングを許さない淡々とした報道と厳格な処罰が求められている。
社会学者の内藤朝雄は、昨年の秋葉原通り魔事件の直後に、自らのブログ(http://d.hatena.ne.jp/izime/)で以下のように警告した。
「マス・メディアは、模倣犯が起きないように配慮して報道するべきだ」
「一部のみじめな者たちが、殺人を実存的な美学としてイメージし、語り合う、流行のきっかけにならないようにしなければならない。犯人を、ただの犯罪者以上でも以下でもなく、報道すること」
いよいよ麻生政権も末期症状。
解散・総選挙が迫っているようだ。
自民党はなりふり構わずに政権にしがみつこうと東国原宮崎県知事へオファーをかけた。
タレント知事人気にあやかろうとする自民党も自民党だが、「総裁の座を用意できるか?」と知事任期半ばにも関わらず触手を伸ばす東国原知事の姿勢もいただけない。
宮崎県民の6割以上が国政転出に反対しているが、当たり前である。
「国を変えなければ地方は変われない」との主張はその通りだろうが、だとすればなぜ自民党なのか?
構造改革を掲げて日本をここまで駄目にし、地方を痛めつけてきたのは自民党ではないか?
その自民党の政策に対する批判や総括もなく、ただ自民党の神輿に乗りたいというのであれば、東国原知事の腹の底が透けて見えるというものだ。
宮崎県の東国原知事や大阪府の橋本知事など、地方自治体から分権を求める声が日増しに強まっている。
小泉政権下で進められた三位一体改革は、地方分権とは名ばかりの単なる地方切り捨てだった。
その犠牲を強いられた地方から反乱が起きている。
IT化によって私たちの生活は日々便利になっている。
何か調べ物をするのに、インターネットとグーグルなどの検索エンジンは欠かせないアイテムだ。
今やネットには携帯電話からもアクセスできるようになり、電子マネーやETCなど、生活の隅々にまでスマート・テクノロジーが入り込んでいる。
続きを読む: ユビキタス・ネットワ-クは社会に何をもたらすのか?
深刻化する地球環境破壊、旱魃や洪水などの自然災害の増加、増大する地球人口、食糧と水の絶対的不足・・・
今後ますます世界は不安定となり、各地で紛争や内戦が多発していく危険性がある。
本書は、無辜の市民が犠牲となっていく悲惨な現実から目を反らさずに、私たちに何が出来るのかを問い続けようと提起している。
その意味では、日本の反戦・平和運動が掲げてきた一国平和主義、絶対平和主義を真剣に問い直し、どのように発展させていくべきかを問題提起している。
足利事件の再審が決定し服役中に釈放された菅家利和さんは、警察の不当な取調べについて怒りを込めて告発している。
任意同行の取調べ中ですら、刑事は菅谷さんの髪を引っ張り足蹴にするなど、不当・違法な取調べを行った。
その結果、菅谷さんは自白を強要されたのだ。
こうした警察の不法・不当を防ぐには、代用監獄を禁止すると共に、一刻も早く取調べを可視化すべきだ。
60年安保闘争の際には東大自治委員長、全学連の中央執行委員として活躍したが、その後きっぱりと左翼と訣別し、対極とも言うべき「コンサバティブ=保守派」のイデオローグとして活躍してきた。
続きを読む: 西部邁『人生の作法』が語る本当の「コンサバティブ=保守」
2005年3月、小泉元首相の靖国神社参拝に抗議し、当時韓国大統領だった盧武鉉氏が対日問題に関して韓国国民へ発した談話の全文を紹介する。
韓国大統領が直接、かつこれほど厳格に日本政府を批判したことはそれまでなかった。
「事必帰正:すべての過ちは、必ず正しい道理に帰する」と信じた元大統領にとって、収賄疑惑は耐え難いものだったに違いない。
盧武鉉元大統領を追悼すると同時に、こうした隣国からのメッセージを日本がきちんと受けとめることが問われている。
1999年アメリカ・シアトルで開催されたWTO会議は、会場周辺に詰めかけた10万人以上の労働組合や社会運動・環境運動のアクティビスト、アナーキストなどによって包囲された。
結局開会式会場に各国の代表が入ることが出来ずに中止に追い込まれたのだ。
続きを読む: 『文化=政治』~グローバリゼーション時代の空間叛乱~
「ついに感染者は○○○人に!」
豚インフルエンザの感染者のカウント数が連日報道され、半ばパニック状態の日本。
マスクはどの店でも売切れ状態で、私の住む埼玉県ですら既にマスクをしている人を見かける。
私は自転車で通勤しているが、自転車に乗りながらマスクしている人も。
屋外で人と離れていれば感染する危険はないのに、とにかくマスクをしなければ不安なのだろう。
世界各国では従来の左翼運動の枠を超えた「新しい社会運動」が発展している。
『市民の政治学』―討議デモクラシーとは何か―(篠原一著 岩波新書)は、こうした新しい社会運動の方向性を詳しく紹介している。
続きを読む: 『市民の政治学』―討議デモクラシーとは何か―
2004年1月、琉球新報は外務省機密文書「地位協定の考え方」を入手し、全文をスクープした。
同文書は、1972年の沖縄本土復帰の翌年、1973年4月に作成され、作成には外務省条約局とアメリカ局が関わっている。
表紙に「秘 無期限」の指定印が押された機密文書だ。
民主党の小沢代表がついに代表を辞任する意向を固めたようだ。
私は東京地検による秘書逮捕の際、即座に旧ブログで以下のように書いた。
http://ihope.jp/cp-bin/blog/index.php?eid=336
寺島実郎氏は、現在三井物産戦略研究所所長、財団法人日本総合研究所理事長、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授を務め、永らく米国で仕事をした経験をもつ。
その寺島氏が9・11テロ後のアメリカを論じたのが『脅威のアメリカ 希望のアメリカ』(岩波書店)である。
SMAPのメンバー草なぎが起こした泥酔事件。
ビートたけしはこんなコメントをしている。
「たけし軍団なら(事件を起こしても)何でもないんだろうね」「男の子なんだからそういうこともあると言って許してくれる粋なスポンサーが欲しいね」
メキシコやアメリカで、豚インフルエンザへの感染が拡大している。ついにカナダでも発症したようだ。
WHOの世界インフルエンザ事前対策計画では、パンデミック(世界的大流行)のピークが起きるまでの状況に応じて、6つのフェーズに分類。
現在はフェーズ3の段階だが、ヒトからヒトへの感染がさらに拡大するようなら、フェーズ4となる。
アメリカのエネルギー省(DOE)は4月20日、使用済み核燃料の商業用再処理施設や高速炉の建設計画の中止を発表した。
ブッシュ前政権が核拡散防止のために打ち出した「国際原子力パートナーシップ(GNEP)」のプロセスのうち、アメリカ国内のものは事実上困難となり、アメリカは核燃料再処理から撤退することになる。

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