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土井ヶ浜遺跡探訪(2)故郷の朝鮮半島や中国大陸に顔を向けて埋葬された渡来の人々
土井ヶ浜遺跡の発見により、弥生時代における民族学と人類学的研究は飛躍的に進んだ。
発掘された人骨のなかには、胸から腰にかけて11本の石鏃と2本のサメの歯でつくった鏃の合計13本もの鏃がささった男性の人骨もある。
吉野ヶ里遺跡の首なし人骨と同様、弥生時代になって頻発した戦いによって死亡したのか、あるいはこの男性が貝輪を2本はめていたことから、シャーマンであったのに何らかの理由で殺されたのか、謎は解けていない。
また、鵜を抱いて埋葬された女性も発掘された。
弥生時代には、鳥は天上の神の国と地上の国との間をとりもつ使者であり、豊作をもたらす穀霊や、祖先の霊魂を運ぶものと信じられていた。
鵜を抱いて埋葬されたこの女性は、土井ヶ浜で唯一鉄製品を副葬されており、巫女的な人物と推定される。
何より興味深いのが、土井ヶ浜に共通する埋葬方法だ。
もっとも多いのが、あおむけに膝などをまげる仰臥屈葬で、ほとんどの頭は少し持ち上げるかたちで東南の方向に向けられている。
つまり、顔は西北の海の方を向くように埋葬されているのだ。
吉野ヶ里の弥生人と同様に、彼らが最も珍重した装飾品の一つは、沖縄や奄美諸島でしかとれなかったゴホウラ、イモガイといった大型巻貝を加工して作られた腕輪だ。
このゴホウラ、イモガイの貝輪は、北海道の有珠モシリ遺跡からも発掘されており、弥生時代にはすでに沖縄から九州、そして日本海側を通って北海道に至る海上の「貝の道」が存在したことを物語っている。
弥生時代には既に日本列島を縦断する2800キロの「貝の道」が存在した。
それに比すれば、九州北部や響灘から朝鮮半島は目と鼻の先。
吉野ヶ里や土井ヶ浜に眠っていた弥生人たちの多くは、明らかに朝鮮半島や中国大陸から渡ってきた人々なのだ。
だからこそ響灘の砂浜に埋葬された弥生人たちは、おしなべて朝鮮半島、大陸の方向に顔を向けて埋葬されていた。
自分達の故郷を憶いながら安らかに眠れるようにと、このような埋葬が行われていたのだろう。
土井ヶ浜のある響灘には、コバルトブルーの美しい海が広がっている。
晴れた日であれば、古代弥生人でなくても船を漕ぎ出さずにはいられないほど魅力的な海だ。
響灘から日本海を見て、何か遠い記憶が蘇ってくるような感覚のなかで、日本人のルーツの一つの流れが、海を隔てた彼方にあると実感できた。
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