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土井ヶ浜遺跡探訪(1)山口県から九州にかけて3タイプの弥生人が存在した
2005年7月、吉野ヶ里遺跡を見学した翌日、土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムを訪れた。
土井ヶ浜遺跡は、山口県の北西部、日本海側に近い豊浦郡豊北町の響灘に面した砂丘で発見された推定約1万平方メートルにも及ぶ弥生時代の墓地遺跡。
1953年以来、11次以上にわたる調査で300体近い人骨が出土している。
1962年に国の史跡に指定され、1990年には遺跡の一部を覆う土井ヶ浜ドームが完成し、93年には出土遺物を収蔵する土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムが開館した。
このミュージアムの展示は、吉野ヶ里遺跡の展示館などとは比較にならないほど充実していて、吉野ヶ里がテーマパークだとすれば、こちらはミュージアムという名にふさわしい内容。
酸性土壌の日本では、土井ヶ浜のような砂丘や貝塚、洞穴に遺体を埋葬するか、あるいは吉野ヶ里のように甕棺などの容器に遺体を入れて、まわりの土に触れないようにしない限り、人骨は残らない。
土井ヶ浜遺跡では、墓地を厚く覆った砂のなかに、海岸から吹き飛ばされてきた貝粉が非常に多く含まれており、貝に含まれているカルシウムが長い年月の間に溶解し、骨に浸透したことによって、他の遺跡と比較しても骨が良く残っていることに特色がある。
そしてこの土井ヶ浜で発掘された人骨の分析などによって、山口県から九州にかけての地域には三つのタイプの弥生人が存在したことが分かっている。
第一のタイプが、吉野ヶ里や土井ヶ浜で発掘された「北部九州・山口」タイプで、顔の高さが高く(長く)、身長も高く、顔のホリが浅い扁平な顔つきの弥生人。
第二のタイプは長崎や熊本などから出土した「西北九州」タイプで、顔の高さは低く、横幅が広く、低身長で鼻が高く、ホリの深い弥生人。
そして第三のタイプは、鹿児島県南端や南西諸島から出土した「南九州・南西諸島」タイプで、「西北九州」タイプよりさらに「低・広顔」傾向が強く、著しい低身長の弥生人だ。
この三タイプのうち、「西北九州」と「南九州・南西諸島」タイプは、実はそれぞれの地域の縄文時代人の特徴を示したもので、縄文人の子孫だと考えられる。
そして「北部九州・山口」タイプこそが、大陸から渡来した弥生人かその子孫であることが判明している。
館内には、テレビ画面上に現れる顔つきや身長などに関する質問に選択肢で答えていくと、最後に縄文系か弥生系か、それとも縄文と弥生がどの程度ブレンドされているのかが判明するアトラクションも用意されていた。
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