Essay

社会保険制度から公的扶助へ 経済成長を前提としたベバリッジ報告はとっくに歴史的意義を喪失している

2010年5月17日 19:52 | コメント(0) | トラックバック(0)

 日本の社会保障制度は、「社会保険」(医療保険、年金保険、労災保険、雇用保険、介護保険)、「公的扶助」(生活保護)、「社会福祉」(老人福祉、障害者福祉、児童福祉、母子福祉)、「公衆衛生及び医療」、「老人保険」の5本の柱で成立している。

 社会保険は国民が自ら保険料を支払い、その対価として給付を受けたり保険制度に守られる仕組みだ。
 こうした社会保険制度の雛型となり、日本を含めて戦後西側先進国における社会保障制度に多大な影響を与えたのがベバリッジ報告だ。

 ウィリアム・ヘンリー・ベバリッジ(William Henry Beveridge、1879年―1963年)は戦時中の1942年、イギリス政府刊行物『社会保険および関連サービス』(ベバリッジ報告)を発表した。

 ベバリッジは「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに、社会保険制度を中心とし公的扶助・関連諸サービスを総合した社会保障計画を提唱した。
 「均一拠出・均一給付の原則」が掲げられ、「所得制限なしの児童手当」「包括的な保健サービスの提供」が当然のこととして提起された。

 これを受けてイギリスでは、患者負担無料(当時)・税方式の医療保障制度NHS(国民保健サービス)が誕生するなど、政策的な影響力は巨大だった。

 実はこのベバリッジ報告は、第2次世界大戦の戦局が大詰めを迎えヨーロッパやアジアで激しい戦闘が続くなか、前線の兵士を鼓舞する役割を果たした。
 イギリス政府はこのレポートをあまねく前線の兵士に配布し、発行部数はアメリカのベストセラー『風と共に去りぬ』に匹敵。

 そこには万一戦場で倒れても残された家族への社会保障を約束することで、兵士たちが後ろ髪を引かれることなく戦えるようにとの意図が隠されていた。

 同時に多くの西側先進国にとって、ベバリッジ報告に象徴される包括的な社会保障制度は、ファシズムに代わる新たな脅威として台頭する共産主義に対抗するために不可欠だった。
 1917年にはロシア革命が起こり、第2時大戦後には東欧諸国や中国が共産主義化する一方、「レッセ・フェール(自由放任)」的資本主義の矛盾は拡大するばかりだったからだ。

 1929年にニューヨーク・ウォール街での株の大暴落を引き金に始まった世界大恐慌では、世界中に大量の失業者があふれた。恐慌を回避しなければ社会不安は増大し、失業者への救済を行わなければいつ国民の不満は革命のエネルギーに転化するか分からない。
 こうしたなかで経済政策的にはケインズ政策が、社会保障政策的にはベバリッジ報告が車の両輪のように一体のものとして導入される。

 政府は財政金融政策により経済過程に積極的に介入し、巨大な公共事業などを通じて不断に有効需要を生み出して恐慌を回避する。さらに包括的な社会保障政策によりセーフティネットを強化し、社会秩序を安定させて共産主義運動を封じ込めようとしたのだ。

 実際にベバリッジは、漸進的な社会変革によってマルクス主義に対抗し、暴力革命を抑止しようとしたフェビアン協会のウェッブ夫妻に思想的・哲学的に共鳴していた。さらに経済学者ジョン・メイナード・ケインズにも多大な影響を受けていた。

 ベバリッジ報告の中心をなす社会保険制度は、自分が働いて稼いだお金で保険料を支払い、それを給付なり保険として受け取るシステムだ。つまり「働かざるもの喰うべからず」が基本コンセプト。

 このシステムが有効に機能するためには、政府はできる限り雇用を確保しなければならない。国民は一生懸命働いてこそ、将来のために保険を積み立てることができるからだ。
 ゆえにベバリッジ報告で示された社会保障制度は、ケインズ政策最大の目標である「完全雇用」の実現が大前提とされていた。だからこそ公的扶助ではなく社会保険が中軸を占めていたのである。

 戦後の高度経済成長期には労働力は恒常的に不足し、「完全雇用」とまではいかないにしても失業率は低い水準で保たれていた。ゆえにベバリッジ型の社会保障システムは、ある程度有効に機能し得た。

 しかし現在の先進国では慢性的に労働力過剰で、失業率は高止まりのままだ。かってのようにダムや道路建設などケインズ主義的公共事業で有効需要を喚起しようとしても、環境負荷は高まるばかりで持続不可能だ。

 まさに車の両輪であったケインズ主義的経済政策とベバリッジ型の社会保障制度が共に行き詰まっている。
 ここに今日の社会保障制度が抱える問題の根深さが潜んでいる

 さらに注目すべきことは、日本は世界的に見ても公的扶助による給付は極端に少ないことだ。
 1992年のデータによれば、「人口に占める社会扶助受給者の割合」は僅か0・7%。オーストラリア17・8%、カナダ15・1%、イギリス15・3%、アメリカでさえ17・5%なのに、日本の公的扶助は最低レベルだ。

 高齢化、少子化、人口減少、そして右肩上がりの経済成長の終焉。
 こんな時代を迎えるなかで、日本は従来の社会保険制度から公的扶助を中心とした社会保障制度にこそ転換すべき時を迎えている。
 さもなければ、保険料を支払うことができないため、年金や健康保険を受け取れない人たちはどんどん増加するだろう。

 公的扶助を中心にするには、消費税アップは勿論、所得税累進課税の強化などが不可欠だ。
 この事実をきちんと国民に提示し、徹底して天下りなどの無駄を排除しつつ、なおかつ増税は不可欠だが、ただし税金は本当に国民生活の保護のために使う。
 これを実践できる政権こそが求められている。

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