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『ミル自伝』(J.S.ミル)英才教育の果ての「精神の危機」を乗り越えた自由主義者
自由主義哲学の草分けである『自由論』を著したJ.S.ミルは、1806年ロンドンに生まれた。
父親は『英領インド史』の著書ジェイムズ・ミル。
『ミル自伝』(岩波文庫)ではその父についてこう述べている。
「父は、アンガス州ノースウォーター・ブリッジに住む小商人で同時にささやかな農業を営んでいた(と思うのだが)ものの子に生まれ、少年のころに、その才能のゆえに、スコットランド財務裁判所判事の一人でファタケアンに住んだサー・ジョン・スチュアートの認める所となり、その結果、ジェイン・ステュアート夫人その他の貴婦人たちがスコットランド教会で働く青年を養成するために創設したある基金で、エディンバラの大学に入学することになった。
父はその大学で、おきまりの学科課程をおさめ、伝道師の資格を得たが、ついにその職には就かなかった。スコットランド教会にせよその他の教会にせよ、その教義を信ずることはできないという結論に達したからである」
ミルはこの父から、わずか3歳にして「天才教育」を受けることとなる。
自伝冒頭には、次のように記されている。
「このごろは、教育とか教育の改革とかが、英国の歴史上かつてなかったほどに、深くとはいえないまでも、さかんに研究されている。して見れば、私の受けた、なみはずれた異色のある一つの教育の、多少の記録を残すことは何かの役に立つかもしれない。
しかもその私の受けた教育は、他の点の結果は論外としても、世間でいう教育の普通のやり方ではまったくむだに使われているといってもよい幼少の時代に、世間一般に考えられている程度よりもはるかに多くのことを、しかも見事に、教え得るのだということを証明しているのである」
この「異色」の教育とはいかなるものだったのか?
「私が身につけ得た多少の思考能力を考えるとき、私は私が受けた教育の中で、論理学以上に恩を受けたものを知らない。私が多少とも熟達し得た最初の知的操作は、まちがった議論を解剖して、どの部分にあやまりがあるかを見ぬくことだった」
そして以下のように論理学の意義を語る。
「この学問が、経験と思索とを積んで徐々に自分自身の貴重な思想をつみ上げてゆくというような、手間のかかる過程を必要としないからである。これを学ぶことによって彼らは彼ら自身の思考能力があまり進まないうちに、混乱し自家憧着をふくんでいる思想の複雑なもつれをときほごすことができるようになる」
早期に論理学を学んだとはいえ、彼の受けた教育は、決して詰め込み教育ではなかった。
「すべてを私自身に発見させて、それによって私の頭のはたらきをよびおこそうと、度が過ぎるくらいにまで骨を折った父は、私が難しさを骨の髄まで感じきるその前でなく、感じきった後になるまで、決して説明をしてくれなかった」
「私の学ぶいかなることも、それが単に記憶力さえ働かせればよいことに堕するのを決してゆるさなかった」
彼は自分自身が受けた訓育の「基本的な重要な点」を次のよう指摘する。
まさに、現代の教育の弊害を是正する上でも示唆に富む言葉だ。
「多くの知識をきびしく教えこまれた大概の少年青年は、そのためにその精神能力を強化されるよりも押しひしがれてしまうほうが普通である。彼らは単なる事実とか、あるいは人の意見や言葉とかをつめこまれ、それらが、彼ら自身の意見を育てる能力の、代用物として受け入れられる」
借り物の知識では、主体的な思考や判断はできないと指摘しているわけだ。
とは言え、ミルは自らが受けた教育についても批判的な視点を持っていた。
「父が私に与えた教育は、それ自体私に、行う訓練よりも知る訓練を与えるのにはるかに適していた。父が私の欠点に気づかなかったのではない。少年期にも青年期にも、私は絶えずこのことについての父のきびしい警告のもとに小さくなっていた。そのような短所に父が無感覚だったり寛容だったりしたわけではさらさらないのである。だが父は私を、学校生活の持つ、品性を堕落させる力から守るだけで、その実際的な人間を作り出すという効果に十分代わり得るものを与えてくれる努力をしなかった」
「原因を与えずに結果だけを期待したように思えるのである」
生きた社会(学校)生活と切り離され、論理的、哲学的な世界に閉じこもってしまえば、社会的要求に応え、社会を変革する実践的な人間には育たないことをミルは理解していた。
20歳頃の彼を襲った「精神的危機」は、それを物語っていた。
「精神的危機」の際、彼は自らに問いかけた。
「かりにおまえの生涯の目的が全部実現されたと考えて見よ。おまえの待望する制度や思想の変革が全部、今この瞬間に完全に成就できたと考えて見よ。これはおまえにとって果たして大きな喜びであり幸福であろうか?」
答えは「否!」であった。
そしてそれまで自分が受けた教育を振り返る。
「これまでの学問のやり方から、すべての知的・道徳的な感じ方とか傾向とかいうものは、いいほうにせよわるいほうにせよ、みな観念連合の産物である、われわれがあることを愛したりにくんだり、ある種の行動や思考に快楽を感じたり苦痛を感じたりするのは、教育や経験の結果としてそういうものに快いあるいは苦痛な観念の連合がまつわりついているからであると、信ずるようにしむけられてきた。
このことの自然の帰結として、私自身確信するようになってもいたのは、教育の目的はできるだけ強力な有益な観念連合を作ってやること、いいかえれば、全体に利益をもたらすようなことには快い観念連合を、また全体に有害なことにはすべて苦痛の観念連合を、与えてやるということであった。
しかし、こうのようにして作られる連想には必ずどこか人工的な不安定な点があるにちがいない。このようにしてむりにある事と連想される苦痛や快楽は、何ら自然の結びつきによってそれとつながっているのではない」
人間は理論的・理性的な存在ではなく、精神や感情の抑揚を伴って思考している。
その当たり前の事実に気付き、ミルがこの危機から脱出することができたのは、フランスの文学者マンモルテルの「回想録」を読んでいる時だったという。
「(小説の中で)彼の父が死に、一家が悲歎に暮れていた時、(中略)その場景なりその時の感情なりが私にはあざやかに理解されて、私は涙を流して感動した。この瞬間から私の重荷は軽くなった。私の心中のあらゆる感情は死んでしまったという、重くのしかかってくるような考えも消えた。
私はもはや絶望もしなかったし、冷たい木石でもなかった。すべての人格の価値、すべての幸福への資格のもとになる若干の原料はまだ私に残っている、という気がしてきた」
他者の感情を察し、他者を慈しみいたわる感受性がなければ、人生には何の意味もない。
幸福とは様々な感動を伴ってこそ実感できるのだとミルが気付いた瞬間であった。
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