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ジョン・デューイ『学校と社会』(2)教養とは想像力の成長である
教育過程を実社会の活動と密接に結び付けることで、教育を通じて社会性や公共性を培うことを目指したデューイ。
そのデューイは教育の対象である子どもをどのように捉えていたのか?
「子どもはすでにはげしく活動的」
「或る潜んでいる活動の萌芽をおとなが漸次に抽きだすために多大の注意と熟練をもって接近しなければならぬというような純粋に潜勢的な存在ではない」
子どもは大人が関わらなければ自分から何もやらない、精神的にひ弱な存在ではない。
むしろ、活動的な子どもをいかに指導していくかが教育に問われる。
「子どもが種種の事実、材料、およびそれらのものにふくまれる諸条件を認識することによって自分の衝動を実現し、そしてその認識をつうじて自分の衝動を規制するようになることは、教育的である。
これが興味をたんに刺激する、或いはほしいままにさせることと、興味を指導することによってそれを実現させるこことのあいだに存する差異であって、この差異を私は強調したいのである」
子どもの興味をどう意識的に実現させ、自分の行動を振り返らせ、より高い考察を持続させるのか。
他者との関係の中で社会的、主体的存在としてどう高めていくのか。
そのためのに彼は、教育者が関わるべき子どもの衝動(興味)を4つに分類する。
1つ目は、談話、すなわちコミュニケイションの興味。
2つ目は、探求、すなわち事物を発見する興味。
3つ目は、物を製作すること、すなわち構成の興味。
4つ目は芸術的表現の興味。
1つ目の興味を、デューイは社会的本能とも言う。
談話や個人的な(直接の体験的な)交際を通じての主我的な興味、利己的な視点から語られたものを、いかに他者に語り得るのか。
同時に他者の経験からどれだけ学ぶことができるのかを問題にする。
2つ目と3つ目は、単なる興味本位から出発しても、価値ある結果に導くことができるとする考え方だ。
例えば物理や化学の課業において、子どもたちは専門的な法則をあつかったり、抽象的な真理に到達することを強烈に求めているのではない。
「たんになにかをやってみるのが好きなのであり、こうすればどうなるかをみまもっているにすぎない」
それでも、そこから導かれるものが4つ目の芸術的本能へと昇華すれば良いのだ。
「洗練・純化であり、完全な表現である。構成を適切ならしめ、じゅうぶんな、自由な、そして屈伸性のあるものとし、それに社会的な動機、つまり人に告げようとするなにものか」
こうして芸術作品は生まれる。
まさにデューイは、知識を吸収するだけの受け身的な授業を否定し、子どもの衝動的行為を導き出すことを主張する。
「学校は子どもが実際に生活をする場所であり、子どもがそれを楽しみとし、またそれ自体のための意義をみいだすような生活体験をあたえる場所であることが最も望ましい」
このような彼の教育論に対し、では必要な知識はどうやって習得するのか、生活と知識や訓練の習得は両立しえないとの批判は当時から既に存在した。
デューイはこう反論する。
「いかにして人間の諸々の根源的な本能をとらえ、これに適当な手段をあたえることによって、ひとりひとりの子どもの成長を容易にし、ゆたかならしめるみならず、過去の教育の理想であった専門的な知識や訓練においても同様の結果、いな、それよりはるかに多くの結果をもたらしうるように、それらの本能の発動を統制できるものかをしめそうとこころみた」
彼が主張したのは、衝動的な、たんなる動機一般からの実践の重視でも、知識教育にたいしての全否定でもない。
「子どもの生活は、その期間からいってもその分量からいっても、おとなの生活に劣るものではないのである、もし子どもがそのゆたかな、価値ある、発展する生活において現在要求するもの、かつ現在為しうるところのものに賢明な、真剣な注意を払うことが、後年の成人生活の要求や能力となんらか矛盾するというならば、それはまことに奇妙なことであろう」
子どもの要求や能力は大人と変わらないほど豊かだ。
だからこそ子どものうちにいかにその要求なり能力を抽きだすかが問われている。
そのためには真の意味での教養を育む必要がある。
「教養とは、想像力が、屈伸性において、範囲において、感入の度合いにおいて成長して、ついに個々人のいとなむ生活が自然の生活と社会の生活によって浸透されるにいたるような、そのような想像力の成長のことをいうのである」
デューイの語る教養とは、自然や社会へと開かれた人間的感性を意味する。
当然にも、一般的な知識の過多に限定されない、豊かな感性こそが核心となる。
「自然と社会とが教室のなかに生かされるとき、学習の諸々の形式と道具とが経験の本質に従属させられるとき、教養ということが民主主義の合言葉となるであろう」
人間と自然と社会を統合し、より自由な社会を生み出す原動力になること。
それこそがデューイの目指した教育改革である。
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