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『緒方貞子―難民支援の現場から』(3)ルワンダからティモール 命がけの救援活動

2009年10月 2日 09:03 | コメント(0) | トラックバック(0)

ボスニア紛争が激化していたさなかの94年7月、アフリカ中部のザイール(現在のコンゴ共和国)に、隣国ルワンダから大量の難民が押し寄せた。

 わずか4日間で100万人の人々が国境を越えた。

 民族紛争では、救援を求める難民が同時に紛争の当事者にもなり得る。
 ルワンダ難民がまさにその典型だった。
 難民の中に多数の武装勢力が混じっていのだ。
 
 難民流失の原因は、ルワンダ人口の85%を占めるフツ族と14%を占めるツチ族との対立にあった。

 植民地時代にベルギーから優遇された少数派のツチ族は、独立以降、クーデターで政権掌握したフツ族から抑圧を受けていた。

 やがて内戦になり、93年にはいったん和平協定が結ばれ、国連から平和維持軍も派遣されたが、94年から再び戦闘が激化していた。

 4月から7月におきた大量虐殺で、80万人もの人々が殺された。

 主犯はフツ族の強硬派だったが、煽動的なラジオ放送に影響を受けて多くの民間人も暴動に加わり、鎌や鉈(なた)を使って隣人たちを殺していった。

 当時、国連ルワンダ支援団として平和維持軍が展開していたが、その大半は暴動の発生直後に撤退。
 虐殺を止めることはできなかった。

 やがてツチ族は反撃に転じ、数週間で全土を制圧する。
 内戦に敗れたフツ族旧政府軍兵士たちは報復を恐れ、一般市民を率いて隣国ザイールに逃れた。
 これが100万人の大量難民となった。

 当時日本も、国際平和協力法に基づく初めての「人道的な国際救援活動」として自衛隊などをゴマに派遣し、医療、防疫、給水、空輸などの分野で救援活動を行っている。

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 キャンプでは、フツ族の兵士たちがひそかに所持していた武器によって公然とキャンプを支配した。

 救援物資を手中に収め、難民キャンプをベースにして、ルワンダに反撃する準備を始めたのだ。
 難民キャンプの軍事化だった。

 彼らは難民を「人間の盾」として人質にとり、帰還グループの組織化も阻んだ。

 ガリ国連事務総長は約50カ国に軍の派遣要請を出したが、応じたのは1カ国だけ。
 彼は次のように嘆いた。

 「みんなうんざりしているのです。アフリカの出来事に対するある種の無関心があるのです。一種の差別ともいえるでしょう。

 ヨーロッパで紛争が起きれば国連加盟国の何カ国かは注目するでしょう。しかし、アフリカで紛争が起きても注目しないのです。

 たとえばユーゴには、1日あたり500万ドルをつぎ込んでいました。一方アフリカの場合、たとえばリベリアのために私が要求したのは1年で2500万ドル(一日あたり7万ドル)です。それでも出してくれません」

 フツ族武装勢力は難民キャンプを拠点にして、ルワンダに誕生したツチ系の新政権のみならず、キャンプ周辺に住むツチ系ザイール人とも紛争を起こした。

 紛争は悪化し、複雑な経過をたどりながら、ザイールの大規模な内戦に発展していく。

 96年8月、主にルワンダ政府の支援を受けたツチ系の反政府勢力が一斉蜂起し、首都キンシャシャへの進撃を開始すると、難民キャンプは激しい攻撃にさらされた。

 10月末ゴマキャンプが陥落、激しい戦闘の中で多くの難民が死亡し、生き延びた者も安全な場を求めて逃げまどった。
 
 100万人もの人々がキャンプから姿を消し、最終的にはルワンダへ向かったが、40万人ほどが密林の中で隠れていた。

 UNHCRは、反政府勢力に見つかれば殺される危険性があるその40万人を救うため、密林の奥に車や徒歩で分け入り、まだ生きている人々を探しては救い出していった。

 11月に、ようやくカナダを中心とする多国籍軍が出動。
 未だ帰っていない人々を探し始めたが、「もういない」と宣言してクリスマス前に帰ってしまった。

 しかしUNHCRの命がけの救出は翌年の9月まで続き、作戦で救われた人々は26万人にのぼった。

 こうした命がけの任務は、ルワンダに限らない。
 
 緒方が退任する直前の2000年9月には、独立をめぐって揺れるティモールでUNHCRの職員3人が惨殺された。

 ティモール難民の帰還活動が、独立に反対する民兵たちの攻撃目標となったのである。

 民兵率いる群集が西ティモールのアタンブア事務所を包囲、3人の職員は刃物で何度も斬りつけられ、遺体は通りに引きずり出されて焼かれた。

 殺された職員の一人は、殺される直前に友人にEメールを送った。

 「民兵たちがここに向かっている。この事務所を叩きつぶすつもりだ。彼らは何も考えずに行動するし、蚊を殺すように簡単に人を殺す。

 ・・・・僕たちは敵を待っている。武器もなく、ただ座って、攻撃の波に襲われるのを、えじきになるのを待っている」

 こうした厳し現実に対して、緒方はこう語っている。

 「必要なことは、人道援助と平和維持活動の効果的な組み合わせであると思う」

 本書でもこうまとめている。

 「緒方さんは、大量虐殺など人道的危機をはらむ紛争の解決にあたって、ときに限定的な軍事力(空爆ではなく地上軍)が必要であることを否定していない。必要なのは、政治的交渉を成功させる最後の『後ろ盾』としての軍事的圧力であり、実際の行使に当たってはいくつもの条件がつく。そもそも武力行使によって一般市民が犠牲になるのでは、本末転倒である」

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