Ecology

JCO臨界事故から10年 事故当時カメラを手に現場へ向かった

2009年9月28日 09:57 | コメント(0) | トラックバック(0)

 間もなくJCO臨界事故から10年を迎える。

 1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村にあるJCO東海事業所で、日本の原子力史上最悪の事故が発生した。

 事故現場で大量の中性子線に被曝し、急性障害となった作業員3名の内2名が死亡。
 多数の周辺住民も被曝。
 一般の住民が被曝した事故は、日本では初めてだった。

 当時私は東海村のすぐそば、茨城県水戸市に住んでいた。
 友人と昼食をとり車に戻ってラジオをつけたら、事故のニュース速報が流れていた。

 それまでも原子力施設での事故やトラブルは頻繁に起きていたが、ニュースを聞いて「今回はかなりヤバイな」と直感。

 まずは知人に手当たり次第電話をかけて注意を呼びかけた。
 そして、カメラを手に現場へ向かうことを決意した。
 
 日本全国を震撼させたJCO臨界事故の記憶を風化させないために、当時執筆したレポートを紹介する。 


 

<事故第一報に戦慄>

 30日の昼のニュースで事故が報道されはじめたが、「臨界事故の可能性がある」という報道が衝撃をもって伝わる。

 実際に、事故現場から2キロ離れたモニタリングステーションで通常の約10倍、7キロ離れた地点では約7倍の放射線が観測されたと言う。

 今までのどんな事故でも、モニタリングステーションでの値がこんなに反応したことはない。
 相当深刻な事故であると直感し、情報収集を開始した。

 自治労茨城県本部で情報収集に当たっていた反原子力茨城共同行動の仲間からは、11時44分には、JCO敷地境界で0.8msv/hのγ線が計測されたと報告を受ける。

 一般の人の年間許容線量といわれている1msv/yをわずか1時間強で浴びてしまうこの値は、即座に住民避難を必要とするものだ。
 しかし、政府や茨城県は何一つ対応をしていない。

 現場の詳しい状況がわからないまま時間が過ぎる。
 マスコミの報道では、事故はこれ以上深刻化しないというニュアンスだ。

 一方で、茨城県警が、国道6号からJCOへ向かう県道を通行止めにしたとの情報もある。
 カメラを手に事故現場へ向かうことを決意する。 

<避難する周辺住民>

 事故が起きたJCO東海事業所は、周辺に民家が密集する市街地の真中にある。
 
 この核燃料製造工場のウラン加工施設から、臨界にともなって大量の放射性物質が環境中に放出され、半径500メートル圏内には強烈な中性子線が、少なくとも20時間以上にわたって降り注いだのだ。

 事故現場からわずか数百メートルの、国道6号線の東海村二軒茶屋交差点に午後3時半に到着する。
 この交差点からJCOに向かう県道は通行止めになっており、警察官が封鎖している。

19990930-1.jpg

 しかし、6号線はひっきりなしに車が通っているし、付近を歩いている人もたくさんいる。

 放射能漏れ事故の対応としては余りにもお粗末だと実感せざるを得ない状況だ。

  政府・科技庁や茨城県の対応の鈍さに業を煮やした東海村では、独自に12時30分に放射能漏れ事故発生と住民の屋内退避を放送、さらに13時56分には半径350メートル圏内の住民の避難勧告を行っていた。

  現場では、この避難勧告を受けて、周辺住民が既に閉店した大型電気店の駐車場に集まっている最中だった。 

19990930-4.JPG   マスクをつけた子供の手を引いて不安げに移動用のバスに乗り込む住民たち。

 チェルノブィリ・クライシスの様子が脳裏をよぎる。

19990930-5.jpg   事実、臨界は終息しておらず、夕方になって再び周辺の放射線の測定値はピークを迎えた。

 この住民避難のなかでも強烈な中性子線が半径500メートルに飛散し続けており、国道6号線を越え、そこを通行している車の鉄板すら突き抜けていたのだ。

 <遅れた行政の対応>  

 茨城県は、午後4時になって初めて対策本部を設置し、政府に至っては午後9時になってやっと小渕首相を本部長とする政府対策本部を設置した。

  そして事故から12時間近くしてからようやく大規模な防災方針が出され、結果として事故現場から半径350メートル圏内の住民避難、半径10キロ圏内、31万人の屋内退避勧告が行われ、北関東の交通動脈である国道6号線、常磐自動車道、常磐線が水戸―日立間で全面通行止め、運休となったのである。

  時間との勝負といわれる原子力防災が、事実上まったく機能しなかったと言ってよいだろう。

  翌日の10月1日、未だ10キロ圏内の屋内退避勧告が続く緊迫した状況下、反原子力茨城共同行動は、茨城県、そして東海村に対する申し入れ行動を行った。

  茨城県庁では、原子力安全対策課へ、徹底した情報公開と安全対策を求めた申し入れを行い、早速対策本部へ行き、現時点で明らかとなっている情報を生データとしてすべて提供するように要請した。

  しかし、当初対応に出た職員は、「情報は記者クラブを通じてのみ流す。300万人の県民にいちいち対応することはできない」と高圧的な態度を示し、「実際に住民が被曝している時に、住民に直接情報公開しないとは何事だ!」と仲間たちが猛烈に批判した。 

19990930-2.JPG

  続いて、屋内退避が続く東海村役場へ向かう。

 道路を走る車はほとんどなく、街に人影もない。まるでゴーストタウンだ。

  主要道路から東海村中心部へ向かう道はすべて警察が封鎖しているが、裏道を使って役場へ到着。 

19990930-6.gif

 事故対策に追われる村上村長に代わって、秘書が申し入れを受け取った。

  「われわれとしては、住民の安全第一で対応しているが、とにかく事故の第一報が遅かったのが残念だ」と語る秘書に対して、「情報を公開し、がんばってください」と激励する。 

19990930-3.JPG  <事故はまだ終っていない>  

 半径10キロ圏内の屋内退避勧告は、10月1日の午後4時半に解除され、臨界は終息し、周辺の放射能測定値は通常の値に戻ったと報道された。

  1997年の動燃事故後から、継続して東海村での放射線測定を行ってきた仲間たちは、10月2日早朝から、JCO施設周辺での独自の放射能測定を行った。

  前夜から測定のため現地入りしていた槌田敦さんも、ガイガー・カウンターを持って合流する。

  既に通行止めが解除された二軒茶屋交差点からJCOへ向かうために県道に入ると、突然仲間の持っているR―DANというγ線の測定機の警報音が鳴り始める。 

19990930-7.JPG

  急速に放射線が強まっているのだ。
 不安になりながらも、施設に近づきながら測定を行うと、どの地点でも信じられない高い数値が出る。 

19990930-8.JPG

  特に、施設の西側の県道沿いでは、通常東海村で計測している値よりも一桁多い数値が次々と計測されるのだ。 

19990930-9.JPG

  チェルノブィリ・クライシスを想起させた今回の事故は、臨界の終息は確認されているものの、未だ大量の放射能は建物のなかに留まり、周辺に放射線を出し続けている。

  その封じ込めや除去もこれからの課題だ。

  住民の避難や屋内退避も解除されたが、直後から東海村や周辺の自治体が行っている被曝検査には、3日間で6万人を越える住民が訪れ、各検査会場には不安げな住民の長蛇の列ができた。

  茨城県は早々と農作物の安全宣言を出しているが、環境中に放出された放射能が濃縮されるのはむしろこれからだ。

  継続的かつ徹底的な周辺住民の健康調査、環境調査を政府や自治体は行うべきだ。

 そして、具体的なデータを含めた情報公開を行い、住民自らリスクを判断できるようにすべきなのである。

  一度事故が起これば取り返しのつかない事態になってしまうのが原子力事故だ。

 どれだけ技術が進歩しても、どれだけ安全教育を徹底化しても、必ずミスは起こる、事故は起こることを想定して原子力問題を考えなければならない。

  一度環境中に放出されてしまえば、あらゆる生命と環境に重大な影響を長期にわたって与え続ける核物質の利用を、極力避けていくことこそが最善の選択なのである。

  政府や、電力会社が最も恐れていることは、今回の事故が原子力政策の根幹を揺るがすことだろう。  


 

  日本のみならず、全世界を震撼させたあの事故から10年。

  果たして事故の教訓は活かされたのか?

  • Yahoo!ブックマークに登録
  • Google Bookmarksに登録
  • はてなブックマークに登録
  • del.icio.usに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurl(バザール)に登録

関連記事

各地の原発で本格化するプルサーマル 危険なMOX燃料の海上輸送に沿岸諸国は強く抗議している
 九州電力玄海原発3号機、四国電力伊方原発3号機でプルサーマルが始まっている。 ...
「人類の危機」レポート『成長の限界』から40年 デニス・メドウズ氏は再度「これからの20年で人類が経験することは過去200年の変化よりも大きい」と指摘
 地球環境問題を包括的に指摘したバイブルとも言える書『成長の限界』。 1971年...
原発に偏重した日本のエネルギー政策はガラパゴス化の最たるもの 原子力政策大綱の見直しは急務
 日本の原子力政策の方向を決める既存の「原子力政策大綱」は、2005年10月に策...
日本広告審査機構(JARO)は「原発はクリーン」との電事連広告を不適切と裁定 ところが(財)日本原子力文化振興財団は真逆の「原子力ポスターコンクール」を開催
 「原子力発電はクリーンな電気のつくり方」 誰が考えついたかしらないが、あまりに...
映画『祝の島(ほうりのしま)』分をわきまえた人間の営みこそ持続可能な未来につながる 原発よりもはるかに偉大な祝島の棚田
 30年近く中国電力の上関原発計画に反対を続けている島がある。 瀬戸内の入口、山...
限界集落で有畜循環有機農業を実践する「土遊野」農場 日本農業再生の方向を見事に示唆している
 2008年5月、富山県富山市(旧大沢野町)の土(ど)集落で有畜循環有機農業を営...
アインシュタインが危惧した異常事態 世界各地でハチがいなくなる蜂群崩壊症候群(CCD)が起きている
 ここ数年、世界各地である日突然ハチの群れがいなくなる異常事態が報告されている。...
「できるぞ! エネルギーシフト!」ワールドカフェと飯田哲也さんの講演は大盛況 自然エネルギーへの転換は小規模分散型革命で!
  7月22日午後7時より都内下北沢らぷらすで、「ワールドカフェとトー...
『母なる大地を守りたい ~立ち上がるアメリカ先住民~』 ウラン鉱山開発に反対するネイティブの闘いは日本の原発立地地域とまったく同じ困難を抱えている
 前編では先住民居留区での天然ガス開発に反対するシャイアンの人々や、アラスカ北極...
映画『アバター(Avatar)』 キャメロン監督はヒューマニズムから環境へと大きくテーマを転換した
 映画『アバター』は近年にない名作である。 ジェームス・キャメロン監督の代表的な...

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.ihope.jp/mt/mt-tb.cgi/381

コメントする

月別アーカイブ

プロフィール

渡瀬義孝 2008年洞爺湖サミットの開催に合わせ自転車で東京~洞爺湖~札幌1500キロを走破したツーリング洞爺湖に参加。持続可能な未来へ向けエコロジーでリベラルなライフスタイルを! yoshitaka@ihope.jp

このサイトを購読する

RSS登録

  • Add to Googleに登録
  • はてなRSSに登録
  • lvedoorリーダーに登録
Loading


最近のフォト

  • Actio 2011年12月号 特集「原発再稼働は許されない」
  • 2011年11月号 特集「広がる放射能汚染にどう向き合うか」
  • Actio10月号 特集「福島で何が起きているのか」
  • Actio 2011年9月号 特集「終わらない原発震災」
  • 2011年8月号 特集「原発事故は最悪の公害」
  • Actio 2011年7月号 特集「子どもたちを放射能から守る」
  • Actio 2011年6月号 特集「原発のない社会は可能」
  • Actio 2011年5月号特集「原発はもういらない」
  • Actio 2011年4月号 特集「食の未来を創る」
  • Actio2011年3月号 特集「エネルギーは地産地消へ」

ウェブページナビ