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『緒方貞子―難民支援の現場から』(2)「民族浄化」が吹き荒れた旧ユーゴ紛争
冷戦崩壊後の1991年、6つの共和国で構成されていた旧ユーゴスラビア連邦からスロベニア、クロアチアが次々と分離独立。
これをきっかけとして、ヨーロッパ・バルカン半島に大規模な民族紛争が火を噴いた。
共産主義の時代、チトー大統領の独裁下で抑えられていた民族対立と独立への欲求が、冷戦終結に伴う経済危機で一気に噴き出したのである。
政治の実権を握っていたセルビア人は領土を維持しようとし、セルビア中心の連邦軍と各共和国軍が戦うことになる。
当初は『大セルビア主義』を掲げたセルビアがクロアチアを軍事的に圧倒し、多数の難民が発生。
そこに国連が乗り出し、最終的にはクロアチアの中に国連保護軍(UNPROFOR)を派遣して『安全地帯』を確保。
最終的には、多数派のクロアチア人が少数派のセルビア人を追い出して独立する。
しかし翌1992年3月、今度はボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、事態は一気に悪化した。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴの中で最も複雑な民族構成にあった。
独立を求めるムスリム人は最大勢力とはいえ人口の4割に過ぎず、独立に反対するセルビア人、クロアチア人と対立。
4月に軍事衝突が起きると、凄惨な内戦が始まった。
これまで共存していた隣人同士が、民族性の違いを理由に殺戮し合う姿は、「民族浄化」とのキーワードとともに世界を震撼させた。
こうした事態に、国際社会は何ら有効な解決策を打ち出すことができなかった。
国連安全保障理事会による経済制裁は効果を上げず、軍事介入も見送られた。
欧米諸国は、3つの民族に対してそれぞれ異なる複雑な利害関係を抱えていたうえに、バルカンでの殺し合いに本気で介入する意思がなかったのである。
デクエヤル国連事務総長は、UNHCRが人道援助を主導するよう要請した。
停戦合意がない内戦の渦中、赤十字国際委員会も職員が射殺され、一時的に撤退していた。
人道援助の空白を埋める必要があったのだ。
この人道援助の指揮を執ったのが、当時難民高等弁務官だった緒方貞子である。
「緒方さんからの指示は明確でした。現場に行って、見て、報告せよ。情報を流し続けながら提案せよでした。ボスニアでは、軍が市民と戦い、今までの戦争では見たことのない残虐さで市民が殺されていました。ベオグラードからサラエボへ向かう途中で、セルビア系武装勢力が街を制圧して、何百人もの女性、子供、老人を殺していました。それは、私の人生の中で最も衝撃的な瞬間でした」(ホセ・メンデール特使)
殺戮やレイプ、拷問が横行し、多くのムスリム人が、軍事的に優位に立つセルビア系武装勢力によって家を追われていった。
最も援助を必要としていたのは、セルビア側の包囲によって孤立していたムスリム人だった。
孤立を強いられた「飛び地」は国内に6か所。
中でも首都サラエボは最大の人口を抱え深刻だった。
サラエボは、かつて冬季オリンピックが開かれた近代的で美しい街である。
しかし、ムスリム人を中心とする40万人の住人は、町を取り囲んだセルビア系武装勢力による連日の砲撃にさらされ、街へつながる道路は閉鎖され、食糧も水も補給できず危機的状況にあった。
援助物資は、空輸によって届けられることとなった。
国連本部は、空輸の安全を確保するため安保理決議758を採択。
サラエボ空港に国連保護軍を派遣し、空港を国連の管理下においた。
緒方の指揮のもと、各国から空軍将校による合同チームがつくられ、92年に最初の空輸機がサラエボ空港に着陸した。
その後3年半、延べ12000回に及ぶ空輸作戦が始まったのだ。
運ばれた食料や衣料品は16万トン。
援助物資を積んだイタリア軍の空輸機が地対空ミサイルで撃墜され4人の乗組員全員が死亡したこともあった。
ボスニア全土に張り巡らされていた物資の陸上輸送ルートも襲撃され、関係者の犠牲は増え続けていった。
国連保護軍は人道援助の護衛を目的としており、紛争に介入して住民を守る権限や装備は与えられていなかった。
それは紛争に苦しむ人々の失望を増幅したといわれている。
緒方は次のように語っている。
「わたしたち(UNHCR)の存在、空輸作戦、食料供給、あらゆる支援は、実は口実に使われていた。軍事的な介入をしようとしない国際社会の言い訳となっていた、ということに人々は気づいていたのです」
92年11月、緒方は国連安全保障理事会でボスニアの現状を説明し、いつまでも人道援助のみを続けることは不可能だと訴え、安保理が一刻も早く政治解決に乗り出すよう強く迫った。
「輸送に不可欠な道路の安全は一向に確保されません。検問所での妨害や無差別の銃撃が援助活動を大きく妨げています。厳正中立の立場で行われている人道援助が、政治の駆け引きや軍事的な利害で絶えず妨害を受けているのです。
いまも被災は続いています。民族浄化も続き、毎日のように人々は地雷原や前線を横切って逃げ、身の安全を必死に求めています。私はこうした忌まわしい行為を国際社会全体とともに非難します。そして、人々が、安全に自分の家にとどまる権利を強調し、この権利をみなさんが尊重する義務があることを強調します」。
紛争が燃えさかっているさなかに軍事介入を行えば、国連が紛争の当事者になる危険性がある。
国連は、一方で空から爆弾を落としながら、地上では中立の旗を掲げて市民を支援する構図。
しかし、解決が先延ばしにされれば、犠牲者が増え続けるのも明白だった。
国連はボスニア内「飛び地」を「安全地帯」に指定し、国連保護軍に対して、「自衛のために、武力行使を含む必要な手段をとる」権限を与え(安保理決議836)、必要があればNATOと協力することも認めた。
しかしその「安全地帯」において、ボスニア紛争最大の悲劇といわれる「スレブレニツァの虐殺」が起きた。
95年7月、ボスニア東部の町スレブレニツァにセルビア系武装勢力が侵攻し、5日間で制圧した。
住民の大半を追い出したうえでムスリム人の男性と少年およそ7000人を別の場所に連行して、「処刑」したのである。
攻撃を行った武装勢力は2000人。現地に駐留していた国連保護軍のオランダ軍部隊は歩兵300名あまりで、捕虜となった。
必要な人数がそもそも配備されていなかったのだ。
ここに至って、ガリ国連事務総長は、空爆の権限をNATO軍に一任する。
この背景には、翌年の大統領選を視野に入れ、空爆をテコにした和平を一気に実現させようとしたアメリカ・クリントン政権の圧力があったと言われる。
こうして95年8月、セツビア人勢力の拠点に対して激しい空爆が開始され、2週間後停戦が合意された。
内戦勃発からすでに3年半が過ぎていた。
和平協定では、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国が単一国家として存続することを認める一方、国内に「セルビア人共和国」(セルビア系住民が中心)と「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」(ムスリムおよびクロアチア系住民が中心)の二つの領域を置くものとした。
戦争が終結した時点で、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口440万人のうち、半分以上が住み慣れた家を追われていた。
死者20万人、国内避難民は130万人、周辺国に逃れた難民は50万人。
ほかに約70万人が西ヨーロッパに逃れていた。
砲弾の下で人道援助に携わった関係者50人以上が死亡し、数百人が負傷した。
荒廃し分断された憎悪の地で、人々はどのように再び共存させればよいのか、それもUHNCRの課題だった。
ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦が終結を迎えたころ、同じ旧ユーゴでコソボ紛争が始まりつつあった。
セルビア共和国のコソボ自治州では、80年代末から人口の9割を占めるアルバニア人と少数派のセルビア人の対立が激化していた。
UNHCRは支援を始めたが、セルビア政権がアルバニア人の権利を次々と奪い、家を追い立てられたアルバニア系住民は、98年9月に7万人に上っていた。
冬期にも大規模な殺害などがあり、和平交渉が進展しない中で、クリントンの主導するNATO軍は、国連安保理の承認を得ないまま「人道的理由」によるセルビア側への空爆を強行した。
予想に反し、78日にもわたった空爆は、結果として事態を悪化させた。
空爆にさらされたセルビア側が「民族浄化」をさらに強め、80万人に上るアルバニア人が難民となって国境に押し寄せた。
しかし、隣国マケドニアは、国内の少数民族であるアルバニア人と緊張関係にあったため、国境を開こうとしなかった。
99年6月、ユーゴスラビア連邦共和国は和平案を正式に受諾した。
コソボからセルビア軍は撤退し、コソボの行政は国連コソボ暫定統治機構にゆだねられた。
しかし、アルバニア系難民が帰還すると、今度はセルビア人への報復がはじまり、わずか3ヶ月でセルビア系住民がコソボを脱出した。
「逆民族浄化」が行われたのである。
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