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人工知能(AI)は本当に可能なのか? 『知のエンジニアリング―複雑性の地平』
先日テレビ東京の番組で、人工知能について特集を組んでいた。
しかしそこで取り上げられている人工知能は、パソコンに毛の生えた程度のものでしかなく、とても知能と呼ぶには程遠いものでしかなかった。
例えば、コンビニの空調や照明の調整を、時間帯や気温、日光の照射などの情報をもとにして自動的に調整する機能。
果たしてこれを司るのが「人工知能」と言えるだろうか?
私から言わせれば、センサーの数や種類を増やし、プログラムを少し複雑にしただけの話で、知能と呼ぶには程遠い代物でしかない。
では一体、知能とは何なのか?
膨大な情報を物凄いスピードで処理しているコンピュータは、あたかもそれらの情報をもとに推論や帰納を行っているかのように見える。
しかし、実はそこでの情報処理はあらかじめプログラムされた定理と条件を使って演繹的推論を利用しているに過ぎない。
ゆえにどれほど高度なスーパーコンピュータでも、プログラムがカバーできる範囲での、つまり定理が正しいという前提においてしか情報に対応できない。
本来の人工知能とは、こうした既存のコンピュータの限界を突破するものでなけば意味はない。
これこそAI(Artificia Intelligenc)開発の目標のはずだ。
『知のエンジニアリング―複雑性の地平』の著者橋田浩一は、本来のAIで問題にされていることを次のように語る。
「特定の用途や文脈に限定されないシステムに関する工学または科学」
分かり易く言えば、映画『2001年宇宙の旅』に登場するスーパーコンピュータHAL9000を本当に開発できるのかを問題にしているわけだ。
HAL9000は自意識を持ち、人間に反乱を試みる。
まさに人間と同じ知能を持つ存在として描かれていた。
ちなみにHALの命名の由来は有名だ。
この映画が製作された1960年代後半、すでに巨大コンピュータ開発に着手していたIBM。
その各文字のアルファベット順を一つずつずらして命名されたのがHALである。
本当にHALのようのな人工知能を創り出すことができるのか?
すでに述べたように、既存のコンピュータの情報処理機能は、あらかじめプログラムされた定理(大前提)と条件(小前提)を駆使しての演繹的推論が実態である。
「前提の数が増えると、どのような演繹を組み合わせればよいかを適切に知る手段が別に必要になる。それに誤った前提からでも論理的には『正しい』結論を導くが、そのこと自体の妥当性を評価することは難しい」
さらにこうしたアプローチでは、あらゆる文脈に対応できる知能としてAIを開発するために、森羅万象に関する定理と条件をプログラムしておかなければならない。
しかしそんな無限大の記憶容量は現実的に不可能だし、プログラムを作るだけでとんでもない時間と労力を費やすことになる。
この問題をAI開発ではどのように突破しようとしているのか?
まず橋田はこれまでのパラダイムを紹介する。
「正当派AIでは、認知主体の頭の中に世界のモデルがあると考えるんだ。まず実世界というものがあって、その実世界のあり方のモデルが、学習や進化を通じて、認知主体の頭の中に作られていくわけ。そして認知主体は、そのモデルを使って自らの行為を決定する。いろいろ推論して、何をやるかを決めていく」
ここで言う認知主体とは、知能を持つ行為者のことで、人間はもちろん、動物も含まれる。
AIを備えたロボットのようなものを開発するには、認知主体と実世界の関係の捉え方そのものが再検討されなければならない。
その前提として、以下のような古典的図式から脱却する必要がある。
「まず世界が存在して次にそれに対して認知主体があるという二項図式、あるいは、世界(客体)と認知者(主体)の間に認識なるものが成立するという三項図式と言ってもいいかもしれないけど、そういう古典的な認識論の図式」
新しいパラダイムはこうだ。
「認知主体が外界と相互作用を行うことによって、その認知主体にとっての世界ができていく」
一つ一つの言葉の概念が曖昧で今一つすっきりはしないが、橋田はハイデッカーの「被投性」の概念もちらつかせており、現象学的なアプローチをしているようにも思える。
いずれにしても、主客二元論では到底AIの開発などすることはできない、世界と認知主体との関係を実体主義的にではなく、関係主義的に措定していくことが必要なのである。
プログラミングに関しても、これまでの手続き型とは異なる、「制約(constraint)」という考え方を提示している。
「実際の行為や推論の手順を具体的に設計するのはやめ」
「具体的な知識や技能は『これこれのことをしかじかの手順でやりなさい』とかいう手続きの形じゃなくて、『あれとこれとの間にはしかじかの関係がある』」
「文脈の多様性に応じた多様な行動パターンを生成する」
さて、ここで私の根本的な疑問を提起しよう。
「認知主体が外界と相互作用を行うことによって、その認知主体にとっての世界ができていく」とは、どういうことを意味するのか?
一言で言えば、それは生物としての生存本能を基盤とするものだろう。
つまり生物は、生存という究極の目的のために外界と関わる。
これは別の角度から見れば、生物にとっては身体性を抜きにして外界との相互作用はあり得ないはずだ。
だとすれば、人工知能の開発にとって心身問題は極めて重大なテーマとなる。
つまり、人間の精神と肉体の密接不可分の関係を探究すること抜きに、人工知能の開発を議論することは不毛ではないのだろうか。
人工知能が可能であるにせよ、不可能であるにせよ、知能の本当の意味を捉え返すことを抜きには、議論は前に進まないだろう。
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