Review
9・11テロを機に台頭した革命集団はもう消えたのか?『ネオコンとは何か-アメリカ新保守主義の野望』
間もなく9月11日。
2001年のその日、世界は衝撃に包まれた。
ニューヨークの世界貿易センタービルやペンタゴンに旅客機で突っ込む、前代未聞の同時多発テロが起きたのだ。
このテロを機に、怒れるアメリカは雪崩をうつようにアフガン空爆からイラク戦争へと突き進んだ。
そのブッシュ政権のなかで強い影響力を持ったのがネオコンである。
本書は、彼らの思想的、人脈的なルーツを解き明かすと共に、イデオロギー的には「理想主義」でありながら、政治的には「現実主義」に徹するがゆえのその危険性を指摘した。
ネオコンもビンラディン氏らもいくつかの面では奇妙に似通っている。
どちらも防衛のために先制的に敵を叩くという戦略では共通している。「アメリカ型民主主義」か、「イスラム急進主義か」の違いはあれ、武力を伴って自らの「主義」(イズム)に基いて世界を染め上げようという点も同じだ。
さらに両者とも、その「主義」については徹底して非寛容である。
ネオコンもビンラディン氏のグループも小さな「セクト」に結束して世界を語り、外野の異論が高まるほどその内部結束が強固になるという性格を持つ。
自らの卓越した先見性と優秀さを確信し、支持者の頭数など二の次である。これはある種のロシア革命を牽引した「ボルシェビズム」の変形なのかもしれない。
ネオコンにとっての最大の関心事は、アメリカ型の民主主義、自由と市場を世界に普遍化し、同時にアラブ・イスラム世界からイスラエルを防衛することだ。
その目的を達成するためなら手段を選ばないリアリズムを併せ持っている。
ビンラディン氏らをごく限られた「ファナティック」な集団として切り捨てることは簡単だ。しかし、もし彼らと類似した集団が世界に冠たる米国の権力を左右しているとしたら、われわれはそれを容易に無視することはできなくなる。
この二つの集団は世界で圧倒的な少数派であり、「国際協調」や「民族自決」といった多数派が掲げる御旗を排した「イズム」によって突き動かされている。ゼニカネで計れるお茶の間の尺度は彼らには通用しない。
教条(ドグマ)というレッテルを貼るのはたやすいが、ドグマは錦の御旗に疑いすら抱かない多数派に対してこそ色濃く跳ね返ってくる。
覚悟を決め、世界を語ろうという風景は、日本では70年代が過ぎた頃から消滅した。「感性」といった言葉がもてはやされたが、裏返せば単なる思考停止にすぎなかった。閉塞感の本質は「寄らば大樹の陰」でしかなかった。
日本人がバブルに踊らされている間に思考を続け、戦闘あるいは政治の現場に身を賭してきたのが、この二つの集団である。
「イズム」は依存でもあるが、依存するためには不断に磨かねばならない。彼らの通った轍には屍が累々と積み上げられている。しかし、同時にそのエネルギーは双方の民衆を熱狂させてきた。
直截的に彼らの政策を語ってみても意味はない。その黒い意思を解き明かす作業のなかでしか、彼らの姿はみえない。
日本政府がイラク戦争を支持する理由は、米国の力抜きには北朝鮮の脅威から自国を防衛できないからだという。本気なのだろうか、と首をかしげた。
語弊を恐れず言うなら、賛否はこの際、どうでもいい。ただ、その程度の理由しか、この国の官僚が語れないとすれば、危機は金正日体制にではなく、むしろ我が身にこそある。
ネオコンの本質を考えたとき、日本を必ず防衛してくれる、といった安易な思い込みは消し飛ぶはずだからだ。
ものを考えなくてはならない時代がやって来た。うそのようなホントが日々、世界を舞台に繰り広げられている。
惰性で使ってきた古い尺度は何の役にも立たない。ネオコンを語るのには古本屋で埃をかぶっていたロシア革命まで必要なのだ。
ネオコンはイラク戦争が今後の世界制覇ロードの幕開けにすぎないと宣言している。
物語は続いていく。彼らと剣を交わらせたビンラディン、サダム・フセインの両氏がその生死すら不明という状況も、予想しがたい物語性を暗示している。
イラク戦争は泥沼となり、ブッシュ政権の単独行動主義は破綻した。
ネオコンは次第にその影響力を弱め、ついにオバマ政権が誕生し、オバマは国際協調路線を歩んでいる。
しかし、ネオコンたちは次の機会を伺っている可能性は強い。
イスラエルを防衛するために、彼らは再び手段を選ばぬ戦闘を開始するかもしれない。
その時、日本は再びその尻尾についていくのか?
「ものを考えなくてはならない時代」は決して終わったのではない。
主体的に思考することがますます問われる時代になるだろう。
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