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辺見庸『抵抗論』~国家からの自由へ~ かつて戦争を翼賛したマスコミはイラク戦争でも同じ過ちを犯した

2009年8月18日 08:59 | コメント(0) | トラックバック(0)

 8月15日を前後して戦争を巡る様々な報道番組が放映された。
 そのなかには、マスコミの戦争責任を問い直す番組もあった。

 言うまでもなく戦争中、朝日や読売などのほとんどのマスコミは翼賛体制に迎合し、大本営発表を垂れ流しながら戦争を煽り続けた。
 まさに国民を積極的に戦争に動員する役割を果たしたのだ。

 彼らは戦後、それを深く反省したはずだ。
 しかしながら、イラク戦争報道において同じ過ちを繰り返した。
 こう指摘するのは、作家の辺見庸だ。

 彼は『抵抗論』(毎日新聞社)Ⅲ章の「実時間の表現」のなかで、2003年4月24日付朝日新聞朝刊で取り上げられたイラク戦争報道を巡る記事を取り上げている。

 この記事のテーマは、「『進攻』か、『侵攻』か。米英軍がクウェートからイラクに攻め入った地上戦をめぐり、日本の新聞各紙や通信社は言葉の選び方が異なっていた」との内容だった。

 かって辺見が勤めていた共同通信は、米地上軍がイラクへ侵略を開始した事実を、4月21日付朝刊用に配信した。
 その記事の見出しは「米軍がクウェートから進撃」とされた。

 その理由について辺見の元同僚である編集局次長はこうコメントした。

 「『侵攻』か『進攻』かは、世論を二分している問題で、価値判断を伴う言葉を配信先に押しつけるのは不適切と判断した」

 辺見はこのコメントに激しく憤っている。

 「驚駭のきわみである。言語学的にも意味論的にもばかげた話である。『侵攻』は『価値判断をともなう言葉』で『進撃』はそうではない中立的な言葉だというのか。いやはや、心ある読者や加盟紙記者が呆れているぞ」

 「おそらく私がいちばん腹を立てているのは、彼のコメントにおけるいちいちのまちがいについてではないのだ。この戦争への怒りも悲しみも滲ませない、あたかも官僚の答弁のような無機質な語り口に苛立つのである。

 ここから先は付会かもしれぬが、現場を離れた多くの編集幹部連中は、戦争報道を語るのに非善・非悪の中間領域があるとでも思っているのではないか。侵略する側にもされる側にもわが身を本気で寄せていくことなく、弾丸の飛んでこない編集局のソファーで日々浅はかな考えにふけり、善でもなければ悪でもない、人倫のおよばぬ領域があるとでも錯覚しているのではないか。

 爆撃で理不尽に殺される側にも無惨に殺す側にも心を砕くことなく、もっぱら自己保身的動機からみずからの『中立』を証明しようとしているのではないか。

 いずれにせよ、今回『進撃』『侵攻』を妥当とした者らはたぶん、一ミリグラムでもその言葉に自己身体を賭けているわけではないのである。いや、言葉に命を賭ける者を彼らは危険視しているのかもしれない」

 「非善・非悪と自己を認識する者たちの『健常さ』ほどいかがわしいものはないと思う。大いなる悪を構成する者たちとは、表面は健常な非善・非悪人間たちではないかと私は目星をつけている」

 辺見は、自己保身にかられ、「中立」を装いながら、戦争をあたかも自然現象、災害と同じように扱っている人々に苛立っている。

 雑誌『世界』2004年3月号に掲載された辺見の小論「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか 閾下のファシズムを撃て」には、次のように記されている。

 「イラクやアフガンで米英の部隊がレジスタンス勢力の攻撃で被害をだすたびに、私は名状の難し、どこか『喜び』に近い感情を抑えることができない。

 そのことと死傷した米英兵たちへの同情とは別のことであり、論理的にもかならずしも矛盾しはしない、と思う。

 爆撃、侵略、大量殺戮、占領を激しく憎み、憤激する一方で、侵略者への反撃の成功を喜びとし、みずから志して、あるいは余儀なく戦線にある兵士やゲリラたちの悲惨な死を、敵と味方の区別なく悼む。それのどこがおかしいというのか。

 倫理的にそこまで踏みこむことなしに、つまり、当方としても当事者らの百万分の一くらいの傷さえ負うことなしに、絶対安全圏からにこにこ笑って『反戦』などといえた義理か。怒り憎しむことは、いつから、だれによって禁じられたのか。怒り憎しむことは、いつから、だれによって、『悪』と断ぜられたのだろう」

 辺見が強調する「怒り」とはどのようなものか? 
 彼はイラク戦争を強行したブッシュや、それに従った小泉だけを「怒り」の対象にしているのではない。

iraqwar.jpg これほどまでの暴虐、反動を止めることができなかった自分自身の存在そのものへ怒っているのである。
 彼にとって「怒り」のない抗議とは、自分達の住む国や社会が生み出している戦争を、「安全」な場所から自然災害のように嘆くだけの無責任な態度なのだ。

 イラク戦争の大義名分とされた「大量破壊兵器」は一切見つからなかった。
 国際法を無視し、全世界に「大嘘」をついてイラク侵略は強行された。
 この戦争がなければ、イラクで何十万の市民が殺されることもなかったし、米英軍の兵士が何千人も戦死することもなかった。

 読売、産経を筆頭に、真っ先にイラク侵略を支持したマスメディアは、一体どんな責任を感じているのか?

 戦前、戦中の戦争責任を問うのもいいが、今この瞬間の戦争責任はなぜ問わないのか?
 これもまた、マスコミの自己保身なのだろうか。

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