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J.S.ミル『自由論』 いち早くパターナリズムを批判し地方分権を提起した卓見

2009年7月27日 10:27 | コメント(5) | トラックバック(0)

 近代市民社会は基本的に法律に定められた契約関係、権利・義務関係のなかで成立している。

 これが何人にであろうと公平・公正に適用されることが、社会的正義の実現と合意形成にとって不可欠だ。
 法治主義のもとでは、政治権力が恣意的に法律を運用し適用することは許されない。

 ましてや、個人の精神的な領域での善悪や好悪にまで権力が口出しすることは、「内心の自由」を脅かすパターナリズムの弊害として厳しく排斥されるべきだ。

 J.S.ミルは主著『自由論』において、パターナリズムの弊害について実に示唆に富む指摘を行っている。

 「社会または社会の或る有力な部分の嗜好と嫌悪とは、法律または世論による刑罰をもって一般人の遵守すべきものとして定められた、諸々の規則を事実上決定してきた、主要なことなのである」

 ミルはまずこう述べた上で、いかに思想と感情において優れた人々であったとしても、多くの場合は次のような誤りに陥ったと語る。

 「社会はいかなる事物を好み、または嫌うべきであるか、という問題の討究に従事して来た」

 「彼らは、自由を守るがために、あまねく異端者を糾合して共通の大義を主張するよりも、むしろ、彼ら自身が異端者的見解を抱いているその特殊の問題について、人類の感情を一変させることに努力することを好んだのであった」

 人間は何らかの政治的、宗教的立場、特定の思想やイデオロギーから世界を見ようとする。
 そしてそれを他者に押し付け強制しようとする。
 多くの場合、その大義名分として「人間の解放」「普遍的人間への接近」などと語られるが、それはおしなべて、ある特定の雛型に人間を押し込めようとする試みである。
 こうしたパターナリズムは、人間の精神的自由を奪い、社会を窒息させる。
 だからこそミルはこれを阻止するために『自由論』を執筆した。

 「この論文の目的は、用いられる手段が法律上の刑罰というかたちの物理的な力であるか、あるいは世論の精神的強制であるかいなかにかかわらず、およそ社会が強制や統制のかたちで個人と関係するしかたを絶対的に支配する資格のあるものとして一つの極めて単純な原理を主張することにある。

 その原理とは、人類がその成員のいずれか一人の行動の自由に、個人的にせよ集団的にせよ、干渉することが、むしろ正当な根拠をもつとされる唯一の目的は、自己防衛(self-protection)であるというにある。また、文明社会のどの成員に対してにせよ、彼の意志に反して権力を行使しても正当とされるための唯一の目的は、他の成員に及ぶ害の防止にあるというにある」

 こうしたミルのパターナリズム批判の視点は、中央集権的な政治システムについても適用される。
 『自由論』のなかには、まるで今日の日本の政治状況を予言したかのような指摘と提言を見出すことができる。

 ミルはまず、中央政府の一部局を構成し、地方的な事務を監督する中央官庁についてこう述べる。

 「中央官庁は、社会に行われたすべての事を知る権利を持つべきであり、また、この官庁の特有の義務としては、一地方で獲得された知識を他の諸々の地方にも利用され得るようにせねばならない。その地位は高く、視野は広汎であって、一地方の区々たる偏見と狭隘な見解とに囚われないために、この官庁の勧告は自ずから大きな権威を持つことになろう」

 ミルは、一地方的な利害や視野を超えて政策を提起する中央政府の役割を認めた上で、以下のように続ける。

 「常設機関としてのこの官庁の実際上の権力は、私の考えるところによれば、行政行為の規則として設けられた諸々の法律の遵守を、地方官吏に強制する、ということ以上に出てはならない」

 「害悪の始まるのは、政府が諸々の個人と団体との能動性と諸能力を呼び起こすのでなしに、かえって政府自身の活動力をもって彼らの活動力に替えようとするときである。すなわち、政府が情報と忠告、また場合によっては非難をも与える、ということをせずに、かえって彼らの活動を束縛し、あるいはまた彼らに向かってわきに退いていろと命じて彼らの仕事を政府自らが引き受けようとするときである。

 国家の価値は、長い目でみれば結局はそれを構成している個人の価値によってきまる。したがって、もしも国家が、些末な事務に関する行政的手腕や、実務をやっていれば得られるそれに似たものを、少々多く手に入れるに急であって、構成員である個人の精神的発展と向上にとっての利益を後にするようなことがあるならば、また、もしも国家が、たとえ有益な目的のためであっても、自分の手の中の一層御し易い道具にするために、その構成員を萎縮させるようなことがあるならば、――そのような国家は、矮小な人物をもってしては、偉大な事業は実際けっして成就されないということを、やがて悟ることになるであろう。

 また、国家があらゆるものを犠牲にしてかち得たところの完全な機構も、活力の不足のために結局少しも国家を利するところなく終る、ということを悟るに至るであろう。その活力をこの国家は、機構をただ一層滑らかに運転させるために、自ら好んで駆逐してしまったのである」

 まさにミルのこうした予言は、現在の日本にそのまま当てはまると言えるだろう。
 戦後の驚異的な復興と経済成長を実現してきた日本の官僚システムは、既にその役割を終えているどころか、その硬直性により日本社会全体の活力を奪う阻害物になり果てている。

 経済的な効率性だけを追い求め、国民の主体的政治参加や地方自治の発展を歪め、知的・文化的な多様性を創造してこれなかった一切のツケが、今日の日本の国家的危機を生み出しているのだ。

 これに対して地方からの反乱が起きているのは当然だ。
 GDPに象徴される、国家レベルでの経済成長を追い求める時代は過ぎ去っている。
 これからの時代は、環境保護という大きな視野をはらみながら、実際に自分たちが生活する地域やコミュニティのなかで、自然との共生を図り、より人間的で文化的な生活をいかにして創造していくのかにこそ最大限のリソースを振り向けるべきだ。

 地方のことを何も理解していない霞が関が巨大な権限を握り、机の上の計算機で予算配分する。
 そんな時代に終止符を打つべき時が来ている。

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コメント(5)

奴隷になる自由についてどう思いますか?私が答えを知ってるわけじゃないけれど、そーゆう人の自由も認めるしかないというか、実際どうにもできないというか。

トトさん

これはなかなか難しい問題です。
現代思想が投げかけた問いの一つですが、これへの反動としてネオコンが生まれたわけです。

例えば古代文明における「生贄」。
「生贄」が酷いと考えるのは自由や平等という現代的価値からの視点であり、それを普遍化することはできないとする価値相対主義に対して、ネオコンの論者たちは怒っていました。

この問題は結構根が深いです。
あらためてブログで取り上げます。

>現代思想が投げかけた問いの一つですが、これへの反動としてネオコンが生まれたわけです

あ、そうなんだ。それは知りませんでした。
価値相対も「主義」になったら絶対になっちゃいますね。けど個人個人の価値は相対とゆうか、序列はないと思ってます。個人的には、生贄がひどいかどうかとかはわりとどうでもよくて、奴隷になりたい個人とどうかかわるか、みたいなことが問題。

トトさん

>奴隷になりたい個人とどうかかわるか

これ、余りに抽象すぎてよく分かりませんね。
最低でも「誰の奴隷になりたいのか?」「なぜ奴隷になりたいのか?」が分からないと・・・・

映画『ドッグヴィル』のレビュー書きましたが、この監督の続編は『マンダレイ』です。
まさに奴隷たちを解放しようとしても、奴隷たち自身が奴隷でいることを望む映画です。

『マンダレイ』観ましたか?

>これ、余りに抽象すぎてよく分かりませんね

はい。すいません。抽象です。

マンダレイは観てませんがそんな映画あったんですね。

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渡瀬義孝 2008年洞爺湖サミットの開催に合わせ自転車で東京~洞爺湖~札幌1500キロを走破したツーリング洞爺湖に参加。持続可能な未来へ向けエコロジーでリベラルなライフスタイルを! yoshitaka@ihope.jp

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