Review

アイザィア・バーリン『自由論』が論じた消極的自由と積極的自由(2)

2009年6月16日 15:17 | コメント(0) | トラックバック(0)

形而上学的合理主義は圧政を生む

 かつてのソ連邦のようなスターリン主義国家のみならず、「自由と民主主義」を標榜している社会においても、なにゆえ権威主義的な一元論が支配的となりつつあるのか?

 バーリンは1953年にロンドンで行った講演記録「歴史の必然性」のなかで、「一般に現代思想において二つの強力な主義・学説は、相対主義と決定論である」と指摘し、この二つの主義・学説の持つドグマに対して自覚的にならなければならないと強調した。

 「歴史が法則─自然的であれ、超自然的であれ─にしたがい、人間生活のあらゆる出来事がひとつの必然的なパターンの一要素であるという観念は、深い形而上学的な起源をもっている」

 そして形而上学は次のような誤りを犯す。

 「存在することと価値をもつこと、存在することと役割をもつこと(そして多少なりともうまくその役割を果たすこと)とは、同一事」

 この誤りは、実存主義者でありながらも、「自由とは必然の洞察である」と述べたサルトルも陥った。
 
 最も概念的(理性的)に歴史を捉えることが、歴史の生成過程の法則を見出すことと同一視されてしまえば、歴史はより合理的、理性的な方向でなんらかの目的論的な必然性を有しており、人間の諸活動は個人の主観的意志や意図に関わりなく、それらの必然性のなかに規定されているとの決定論に陥ってしまう。

 「合理的組織化の所産として幸福が実現される可能性(ないし蓋然性)に対する信念は、イタリア・ルネサンスの形而上学者からドイツ啓蒙の進化論的思想家まで、革命前のフランスの急進派および功利主義者から19・20世紀の科学崇拝的夢想家まで、近代の慈恵の念にあついすべての賢者たちを統合するものである」

 しかし「自由とは必然の洞察」であるとすれば、より合理的組織化のためとの大義名分のもとに、個人の自由は脅かされてしまう。
 こうした問題意識から、バーリン独特の「自由」に対する洞察が生まれる。

 1958年にオックスフォード大学で行った講演「二つの自由概念」のなかで、バーリンは決定論的陥穽から人間の自由を守るためには、「積極的」自由を要求するだけでは不十分であり、「消極的」自由こそが重要であると主張する。

 ここで彼が語る二つの自由概念とはどのようなものなのか?

 「自由という言葉(わたくしはfreedom もlibertも同じ意味で用いる)の政治的な意味の第一は─わたくしはこれを『消極的』negativeな意味と名づけるのだが─、次のような問いにたいする答えのなかに含まれているものである。

 その問いとはつまり、『主体― 一個人あるいは個人の集団 ─が、いかなる他人からの干渉もうけずに、自分のしたいことをし、自分のありたいものであることを放任されている、あるいは放任されているべき範囲はどのようなものであるか』。

 第二の意味─これをわたくしは『積極的』positiveな意味と名づける─は、次のような問い、つまり『あるひとがあれよりもこれをすること、あれよりもこれであること、を決定できる統制ないし干渉の根拠はなんであるか、まただれであるか』という問いに対する答えのなかに含まれている」

 バーリンは、決定論という形而上学的合理主義は、必然的に次のような観念を含むと考える。

 「障害物のない境域、自分のやりたいことのできる空虚な場所という『消極的』な自由の観念ではなくして、自己支配ないし自己統御という〔『積極的』な自由〕の観念」

 そこでは非理性的なこと、愚かしいこと、あるいは悪いことをする自由(ミルであるならば、これも「愚行権」として認める)はすべて否定される共に、経験的な、つまり即自的な自我を正しい範型へと押しこめることは圧制ではなくして人間性の解放だとの信念が生まれる。

 「自由はかくして、権威と両立しがたいどころではなく、実質的にそれと同一のものとなる。これが、十八世紀におけるすべての人権宣言の思想・言葉であり、また社会を賢明なる立法者の、自然の、歴史の、あるいは神の理性的な法によって構成・設計されたものとみなすすべてのひとびとの思想・言葉なのである」

 勿論バーリンは、「積極的」自由をすべて否定しているわけではない。

 自由の問題を考察するには二つの概念が必要であり、この二つの自由の持つ意義の違いを理解し、その時代や社会状況のなかで必要とされる両者のバランスは変化するとしても、少なくとも一方が片方を無自覚に蹂躪するようなことのないように留意しなければならないと強調するのだ。

 バーリンは、形而上学的な傾向、決定論的な傾向は、「積極的」自由という名において個人の抑圧を生み出してきた歴史的事実と向き合おうとしたのだ。

 「消極的自由と積極的自由とが、どれだけ共通の基盤の上に立っているにせよ、またどちらがより重大な歪曲を受けやすいにせよ、ともかく同じものではないということである。

 二つはいずれもそれ自体目的なのであり、従って、この二つの目的は決定的に衝突もする。
 衝突した場合には、選択・優劣の問題は嫌でも起こらざるをえない。

 デモクラシーは、所与の状況では、個人の自由を犠牲にしても進められるべきであろうか。

 あるいは、平等は、芸術上の業績を犠牲にしても、恩恵は正義を犠牲にしても、自発性は効率を犠牲にしても、幸福、忠誠、無邪気は知識と真理を犠牲にしても進められるべきであろうか。

 私が立証しようとしている点は、ただ、究極的な諸価値が宥和できないときは、明快な解決法は原則的にありえないということである」

 正義、進歩、未来の世代の幸福、神聖なる使命、国民・民族・階級の解放、さらに自由そのものなどの積極的な価値が、最後には互いに矛盾することはなく、むしろ相互に必要としあうだろうとの決定論的で一元論的な信仰は誤っている。

 「われわれが日常的経験において遭遇する世界は、いずれもひとしく究極的であるような諸目的─そしてそのあるものを実現すれば不可避的に他のものを犠牲にせざるをえないような諸目的─の間での選択を迫られている世界である。

 事実、このような状況であればこそ、人間は選択の自由にひじょうに大きな価値をおいているのである」

 「何よりもまず、教育のあれこれの方法とか、生活を科学的、宗教的、あるいは社会的に組織した体制とかが解決を約束しているような種類の問題は、事実上人生の中心問題ではないことが実感されねばならない。

 不正、貧困、隷従、無知─これらは改革や革命によって救済されるかもしれない。

 けれども人間は悪と戦うことだけで生きているのではなく、個人的集団的な積極的目標によって生きているし、それはたいへんさまざまであって、まずあらかじめ見通すわけにも行かないし、時としては相互に両立しないものなのだ」

 では、私たちはどう生きていけばよいのか?
 バーリンの次の言葉は示唆的である。

 「自己の確信の正当性の相対的なものであることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること、これこそが文明人を野蛮人から区別する点である」


  • Yahoo!ブックマークに登録
  • Google Bookmarksに登録
  • はてなブックマークに登録
  • del.icio.usに登録
  • livedoorクリップに登録
  • Buzzurl(バザール)に登録

関連記事

映画『祝の島(ほうりのしま)』分をわきまえた人間の営みこそ持続可能な未来につながる 原発よりもはるかに偉大な祝島の棚田
 30年近く中国電力の上関原発計画に反対を続けている島がある。 瀬戸内の入口、山...
映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』が描くニーチェの「永劫回帰」 ツァラトゥストラの「超人」は可能なのか?
 皮肉なことに、戦争ほど人間の生を鮮明に浮かび上がらせるものはない。 この逆説的...
映画『劔岳 点の記』 日本初の測量を実際に記録した貴重な映像があるはずだが
 日本の冬季登山で最も厳しい山と言われる剣岳。  明治時代末期、日本で最初にこの...
ドキュメンタリー映画『精神』 想田和弘監督の観察映画第2弾 モザイク無しに精神障害者の現実を直視
  一言では表現できない複雑な映画である。  想田監督はまさに、「観察...
NHKスペシャル『深層崩壊が日本を襲う』 気候変動に対応した新しい防災対策が問われている
 先日NHKスペシャルで放映されたこの番組、正直ショックを受けた。 この番組によ...
ドキュメンタリー映画『選挙』 想田和弘監督は世界有数の経済大国で繰り広げられるドブ板選挙をつぶさに観察
 想田監督は自らこの作品を「観察映画」と呼ぶ。 2時間に及ぶ作品中には、ナレーシ...
『母なる大地を守りたい ~立ち上がるアメリカ先住民~』 ウラン鉱山開発に反対するネイティブの闘いは日本の原発立地地域とまったく同じ困難を抱えている
 前編では先住民居留区での天然ガス開発に反対するシャイアンの人々や、アラスカ北極...
映画『アバター(Avatar)』 キャメロン監督はヒューマニズムから環境へと大きくテーマを転換した
 映画『アバター』は近年にない名作である。 ジェームス・キャメロン監督の代表的な...
ガンディーやキング牧師が目指した非暴力直接行動の奥深さを説く『暴力の哲学』(酒井隆史)
 本書は、国家権力の不正や横暴に対峙する民衆の「非暴力直接行動」の可能性について...
ベストノンフィクション『人類が消えた世界』で問われる「立つ鳥跡を濁さず」
 先日、日本テレビで放映された番組「人類ZEROの世界」。 ある日突然この世界か...

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.ihope.jp/mt/mt-tb.cgi/186

コメントする

月別アーカイブ



プロフィール

渡瀬義孝 2008年洞爺湖サミットの開催に合わせ自転車で東京~洞爺湖~札幌1500キロを走破したツーリング洞爺湖に参加。持続可能な未来へ向けエコロジーでリベラルなライフスタイルを! yoshitaka@ihope.jp

このサイトを購読する

RSS登録

  • My Yahoo!に追加
  • Add to Googleに登録
  • はてなRSSに登録
  • lvedoorリーダーに登録
  • エキサイトリーダーに登録



最近のフォト

  • 『Actio』10月号<特集>次世代へ引き継ぐ生物多様性 未来を決めるCOP10@名古屋
  • 北淡町震災記念公園の野島断層保存館 阪神淡路大震災の爪痕から何を教訓とするのか
  • 淡路島「鳴門の渦潮」 映画『十戒』を彷彿とさせる自然の力
  • 日本広告審査機構(JARO)は「原発はクリーン」との電事連広告を不適切と裁定 ところが(財)日本原子力文化振興財団は真逆の「原子力ポスターコンクール」を開催
  • ほくほく線のシアター・トレインゆめぞら号 トンネル内で天井に映し出される映像は必見
  • 映画『祝の島(ほうりのしま)』分をわきまえた人間の営みこそ持続可能な未来につながる 原発よりもはるかに偉大な祝島の棚田
  • 限界集落で有畜循環有機農業を実践する「土遊野」農場 日本農業再生の方向を見事に示唆している
  • 映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』が描くニーチェの「永劫回帰」 ツァラトゥストラの「超人」は可能なのか?

ウェブページナビ