Review
アイザィア・バーリン『自由論』が論じた消極的自由と積極的自由(1)
20世紀における思想の危機
イギリス経験論の流れを継承する現代の政治哲学者、アイザィア・バーリン『自由論』(みすず書房)は、20世紀の思想と文明を根底的に捉え返そうとする名著だ。
ここでバーリンは、形而上学的な歴史の必然論や一元論、あるいは科学主義的な真理観を拒否し、人間にとって真理とは何であり、そして価値とは何か、自由とは何かを深く洞察している。
バーリンは、J.S.ミルの『自由論』を高く評価すると共に、ミルが『自由論』で危惧した、人間の自由を狭め、圧迫し、なかんずく「自由」という理念そのものの存立を危うくするような状況が20世紀を覆いつつあると警鐘を鳴らした。
バーリンの『自由論』は、彼の講演記録やこれへの様々な反論に対する反批判などによって成立している。
1909年、当時ロシア帝国領であり、第二次大戦後に再びソヴィエト連邦に編入されたラトヴィアの首都リガに生まれたバーリンは、30年代にはイギリスのオックスフォード大学に学んだ。
第二次大戦を前後して、イギリス情報省の一員としてニュー・ヨークやワシントン、モスクワなどのイギリス大使館で現実の政治舞台に身を置き、46年以降再びオックスフォードでの研究生活に戻っている。
「象牙の塔」に籠もっていただけではない彼の政治哲学は、当時増大しつつあったロシア・スターリン主義の脅威や、あるいは大衆社会化状況のなかでのデモクラシーの弊害などを直視しつつ展開された。
『自由論』には、「20世紀の政治思想」と題して、バーリンが1949年にアメリカの雑誌に寄稿した論文が載録されている。
この論文は、バーリン自らがコメントしているように、スターリン晩年のソビエトの最も硬直した政治的、社会的、思想的状況を目の当たりにするなかで執筆したものだ。
しかし、ここでバーリンが突き出している問題は、単にファシズムやスターリン主義に対する個別的批判ではなく、20世紀思想全体が陥っているパラダイムに対する批判的検討だ。
バーリンはまず、20世紀の政治思想を捉え返すためには、それを準備した18世紀から19世紀にかけての思想を捉え返すことが必要だと語る。
そして19世紀に起こった二大解放政治運動である人道的個人主義とロマン的国民主義は、その差異がどれほど大きく見えようとも、次のことを信じていた点で共通点を持つと指摘。
「知性と徳性との力が、無知と邪悪とを克服しうるならば、個人の問題も、社会の問題も、ともに解決することが可能である」
コンドルセーやエルヴェシウスによって創始されたヨーロッパ自由主義についても、バーリンは次のような信念を抱いていたと語る。
「人間は、少なくとも原理的には、たとえどのような場所と条件においても、ひとたび意志すれば、彼の問題に対して、理性的な解決を見出し、これを用いることができる。
そして人びとがこのように解決を見出してゆくならば、これらの解決が理性的である以上、その相互間に矛盾はありえず、究極においては、真理が支配し、自由と幸福と、何ものにも妨げられずに、自己を発展させうる無制限の機会とが、万人に向かってひらかれているような調和的な社会体制を作り上げるだろう」
バーリンはここからさらに進んで、人間理性に対する楽観主義的で合理主義的な確信は、19世紀の思想状況を大きく規定していたと述べる。
「一見マルクス主義と自由主義的改良主義くらい、はっきり違った運動はないように見えるが、しかし中心的な教義─すなわち、人間完成の可能性、自然の資源をあげての完全社会創造の可能性、自由平等の両立(それどころか不可分性)の信仰─は両者に共通している」
ただし、こうした合理主義、楽観主義という土俵の上においてではあれ、19世紀の思想状況のなかでは、そもそも人間が完成するとはどういうことか、完全なる調和的な社会とは何か、あるいはまた自由とは何であり、真の平等とは何か、これらの優先順位はどのようになるのか、との問いが行われ、実に様々な論争が存在した。
これらの論争は、時に非和解的であったとしても、こうした「問い」そのものを放棄する者はいなかった。
これに比して20世紀を特徴づけているものは、これまでのような「一組の思想の他の一組に対する闘争ではなくて、およそ思想そのものへの高まり行く敵意の波」だとバーリンは語る。
「抑圧的な制度が凍結された観念の偶像崇拝にすぎないことを最初に暴露した人びと、─フーリエ、フォイエルバッハ、マルクス─の弟子たちが、『物化』と『非人間化』との新しい形態をもっとも残忍に支持するようになろうとは、これこそ歴史の皮肉というものである」
ここでバーリンが具体的に想定しているのは、未だフルシチョフによるスターリン批判すら行われておらず、弁証法的唯物論を唯一絶対の科学的真理だとするドグマを振りかざし、テロルまで駆使した思想統制を行っていた当時のソヴィエト社会だ。
しかし、彼はスターリニストだけではなく、かっての人道的自由主義者もまた、大衆社会状況のなかで同様の陥穽に陥っていると暴く。
何を選択したら良いのか判断がつかない不安を解消し、「幸福な奴隷」となるための盲従と信仰の避難所を権威主義的につくり出そうとする雰囲気が社会を覆いつつある。
「この避難所が教条的な宗教信仰であるか、教条的な社会科学ないし自然科学の信仰であるかなどということは、大局からみればほとんど問題ではない」
「計画化された社会を成功させようと心を砕く以上、計画を立てる者が、計画を危うくするかも知れないところの、計算できないために危険の多い諸力から、この社会を遮断しようと欲するのは当然である。
そしてこの要求が、それを強行したものが保守派であると、ニュー・ディール派であると、孤立主義者であると、社会民主主義者であると、帝国主義者であるとを問わず、『アウタルキー』とか『一国社会主義』とかに行く、強力な動機となったのである」
バーリンの問題意識は、資本主義、社会主義を問わず20世紀文明そのものの根底に横たわる科学主義と一元論的進歩主義、それによる人間性の抑圧を射程に入れたものだったのだ。
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