Review
ハイエクが考察した『市場・知識・自由』 社会主義の破産は必然だった(4)
市場原理主義の限界
ハイエクの中心的な問題意識は、初期のイギリス経験論を引き継いでいる。
王や教会権力による一元的な善の押し付け、あるいは経済活動への規制や介入に思想・信仰や経済活動の自由を対置し、それが人間の幸福に結びつくはずだと考えたわけだ。
ゆえに彼は「自生的秩序」としての市場経済に全面的に依拠する。
しかし過度な市場経済の礼讃は、特定の大資本や階級による極めて一元的な社会支配を容認することにつながる。
自生的秩序としての市場経済の優位性は、社会主義的で官僚主義的な計画経済への批判にはなり得ても、ネオ・リベラリズムが席巻した今日の世界は、決してハイエクの望むような自由な社会にはなっていない。
「民主主義の正当性の全根拠は、時の流れのうちに、今日はほんの少数の意見にすぎないものが多数意見になることも可能だ、という事実にもとづいている」
ハイエクのこうした主張を実現するためには、自生的秩序を絶対化し、市場経済に依拠すれば自ずと民主主義の正当性は保障されるなどと考えることはできない。
ハイエクは、市場的秩序をライバル競争的で分散的なものとして捉えた。
それ故に、市場を情報伝達システムとしても理解し得た。
しかし、ライバル競争的で分散的な市場は、決して調和的な秩序ではなく、敵対的な関係を内包する。
こうした市場が一つの「秩序」として認知され、社会的インセンティヴを形成していくためには、ハイエク自身認めるように、そこに一般的規則=ノモスとしての法が前提とされるはずだ。
西部忠は『市場経済の学史的検討』に寄せた論文「社会的制度としての市場像-社会主義経済計算論争をめぐるハイエクとポランニーの市場像」のなかで次のように述べている。
「一般的規則としての法が、普遍的に経済的競争のルールを定め、経済主体の経済活動に一定の限界を画することで、経済的成果の確実性を保証する。このようなルールがなければ、対立を含む競争は、無秩序な混沌に陥り、社会的制度として必要とされる安定性が確保されない」
水田洋もまた、ハイエクが絶賛するマンデヴィルは『蜂の寓話』のなかで、「私人の悪徳は公共の利得となるためには、『正義の剣で正す』」との条件を付していると指摘している。
設計主義的合理主義を批判する余りに、ハイエク自身が混乱している点だが、市場秩序を全面的に礼讃するハイエクの「自生的秩序論」自身、実はこうした政治的、社会的な公理・公準の存在抜きに保証され得ないのだ。
こうした公理・公準は、歴史的、社会的により妥当だとされるものを選択し、合意によって決定されていく以外ない。
その決定が特定の個人なり当局なりによる一元論的な押しつけでは駄目なことは明らかだとしても、社会的公正を実現する公理・公準をつくり出す歴史的営為を抜きにして、そもそも自由主義思想そのものが存在し得なかったはずだ。
その意味では、J.S.ミルが社会主義の理念を認めつつも、次のように述べていたことは注目に値する。
「私有財産制弁護論にして正当なのものは、私有財産は報酬と努力との間に均衡があるという公平の原則に基づいていると前提しているのであるが、私有財産制の最後の決着について判断を下すには、われわれはまずこの制度をして右の公平の原則にそむくような作用をなさしめるすべての事柄が是正されてあると仮定しなくてはならない」
ミルのこの言葉は、最悪の資本主義と理想化された社会主義を比較することで社会主義の優位を主張した当時の社会主義者への提言だった。
同時にこれは、無前提に市場経済を礼讃するハイエクなどのネオ・リベラリストにもそのまま向けられるべきものだ。
ハイエクのように「自生的秩序」を実体化して考えることは、「レッセ・フェール」の名において生み出されている極端な貧富の格差、巨大資本による市場の独占的支配を容認することにしかならない。
実際ハイエクは、一元論的な価値に依存することなく多様な考え方を認めようとする限り「社会的正義」の実現は不可能であり、自由主義は市場メカニズムによる「交換的正義」の実現にのみ関心があるのだと明言している。
「ベンサムからミルに至る功利主義は、大陸的合理主義、全体主義への譲歩である」
こんな指摘までしている。
一方ミルはこう語っていた。
「満足な豚になるよりは、不満足なソクラテスになるほうが良い」
では何が問われているのか?
市場礼賛の自由主義でもなく、かといってハイエクが批判する「設計主義的合理主義」でもない社会をどう模索するかだろう。
自由と公正のバランスを適度に保ち得る社会的レギュレーションをいかにして作り出すのかこそが問題とされるべきだ。
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