Review
『実録・連合赤軍―あさま山荘への道程』 「新左翼とは何だったのか」を象徴する映画
私は長らく左翼運動に関わっていた。
その限界を痛切に感じて以降、左翼のパラダイムと根本的に対峙することが問題意識の一つとなった。
この映画で描かれている連合赤軍と、私が参加していた組織のルーツはつながっていた。
だからと言うわけではないが、この映画で描かれている世界は、良い意味でも悪い意味でも本当に良く分る。
革命を目指す組織は、常に国家権力との厳しい緊張関係にある。
その緊張関係は、必ず当該組織内部にも反映する。
私自身、さすがに暴力は伴わないとは言え、「精神的な粛清」とも言うべき世界を垣間見てきた。
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そもそも「左翼は人を批判するのが三度の飯よりも大好き」なのだ。
なんと言っても、本家本元のマルクスやレーニンが良い例だ。彼らは論敵をケチョンケチョンに批判して自らの主張を世に広めた。
「理解する」は英語で<understand>。
相手の「下に立つ」、相手より下の目線に立ち、相手の存在を受け容れること抜きに相手を理解することはできないとの意味だが、どうも左翼の辞書には本質的にこの言葉は存在しない。
左翼は常に未来から現在を見ようとする。
未来から現在を逆照射し、悪無限的に現実を否定して「あるべき姿」を追い求めるわけだ。
そしてその「あるべき姿」を誰よりも理解しているのが「指導者」「前衛」と決まっている。
その真理の高みから、「君は間違っている。これこそが君を幸せにするのだ」と断言するのが左翼の典型的な論法だ。
「神様を信じれば救われる。さもなければ地獄に落ちる」と脅すカルト宗教の手法と似ている。
バートランド・ラッセルはいち早く、マルクス主義とキリスト教の近似性を指摘していたが、その通りなのだ。
しかし、精神的な意味での「幸福」や「満足」は、人間にとって最もプライベートな領域だ。
ところが左翼はこの部分にまで土足で入り込み、ああでもない、こうでもないとパターナリズムを振り回す。
聞き手がどれほど嫌がって迷惑していても、当の本人は相手を高みに引き上げるための同志的批判だと強弁する。
こんなパターナリズムが、暴力すら伴って異常なまでに行使されるとどのような悲惨な事態に至るのかを、この映画は描いている。
そもそも世界の歴史を見ても、革命によって樹立された権力が、革命に打倒された権力よりもさらに醜悪で抑圧的な権力と化してしまう例は枚挙にいとまがない。
これは革命が掲げている理想、理念の内容に様々な問題があるという以上に、革命の主体が「権力」という魔物、パターナリズムの功罪をほとんど自覚していないことに根拠がある。
産業革命時のイギリスにおいて、資本主義の様々な問題について批判しつつ、マルクス主義とは一線を画したJ.S.ミルは、『女性の解放』において次のように語っている。
「真にすぐれた人でも、つねに(文字どおり)仲間の大将になっていると、ほとんど例外なく堕落しはじめるもの」
ミルは、家族の中で女性が社会性を持ち得ないで成長できずにいると、男性と女性との力関係が固定化してしまい、結局その女性と一緒に暮らしている男性までもが「例外なく堕落しはじめる」から、男性にとっても女性が解放されることは必要なのだと力説した。
左翼運動を含めてあらゆる社会運動、あらゆる組織でも、「お山の大将が堕落する」のは同じだ。
その集団がドメスティックであれがあるほど、「つねに(文字どおり)仲間の大将になっている」関係が作られやすい。
権力者は、自他の区別がつかなくなり、自己の欲求を集団の欲求に重ね合わせ、他者を身体的自我の延長として考えるようになる。
ミルが述べたように、これは権力者自身にとっても悲劇だ。
どんなに向上心を持っていて、優れた人であっても、長期に渡って権力関係が固定化すれば人は間違いなく駄目になる。
何らかの「権力」を行使する人間は、権力行使の根拠と制限に対して常に自覚的でなければならない。
自らの権力に対して制度的、システム的に縛りをかけるということだ。これができない権力者は、どれほど倫理的、道徳的に優れた人でも、必ず堕落する。
少なくとも指導者が民主的選挙により選ばれる、指導者の権限について明確に明文化されているなどのシステムを整備しない限り、どんな高尚な議論を繰り返しても何も問題は解決しない。
日本共産党をはじめとして、未だに社会主義なり共産主義を掲げる党や組織がこうしたシステムをきちんと整備しているのか、はなはだ疑問だ。
さらに連合赤軍に限らず左翼運動がはらんできた「内ゲバ問題」は、ほとんどの場合、哲学や文学の領域で論じられてきた。
しかし高尚な哲学的議論が大好きな人に限って、実際には他者に対して平気で乱暴な言葉を使い、現場の論争では絶対に引かず、強がることがまかり通る。
私の経験でも、同じ組織の内部でさえ、人格を侮蔑する言葉が平気で飛び交い、それらが「批判の自由」などという高尚な理論で厚化粧された。
この映画を観れば分かるが、日本の新左翼の自己認識は本当に子どもじみたものだった。
そもそも10代、20代の若者が人生の何を理解していただろうか?
にも関わらず新左翼は、全共闘運動の無邪気さと子どもっぽさをそのまま引きずって、日本の農民運動や住民運動、左翼運動の歴史からも何も学ぶことなく、自分たちこそが「前衛」であると主張し続けた。
ちなみに、この映画を観て感慨を深くした人たちもいるらしい。
「彼らはなぜあそこまで命賭けの戦いをしたのか、それを問い直すことが大切だ」などと。
しかし私から言わせれば、こんな実存主義的、文学的な問いと政治運動をごちゃ混ぜにしたことに根本的な原因がある。
どれだけ命を賭けたのかが価値判断の基準なら、連合赤軍がやったことなど世界史のなかでは何の意味もない。
20世紀だけですら、世界では何千万の人々が戦争で死んでいるはずだ。
あまりに文学的であり、かつ政治的な、それゆえに権力とパターナリズムの恐ろしさに全く無自覚な若者が、大人になれないままに新左翼という特殊なカテゴリーを作ったのだ。
「新左翼とは何だったのか」と問われれば、私は自分自身の人生を痛苦に振り返りつつ、こう答えるだろう。
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